新年のあいさつに変えて
夫婦別姓訴訟と「館長雇止め・バックラッシュ裁判」

2011年1月12日 
原告 三井マリ子

新年にふさわしいニュースが飛び込んできました。

当裁判の支援者・塚本協子さん(富山)は、2011年2月、夫婦別姓を求めて日本国と自治体を相手どり裁判を起こします。女性の権利拡大だけでなく、私たちの、そして将来の日本人の生き方を左右する重要な訴訟です。報道によると日本初です。

塚本協子さんは、「私が裁判を決意したのは、三井さんの裁判を見たからです」と私に言いました。

2007年9月12日、塚本さんは、富山から大阪までやって来ました。「館長雇止め・バックラッシュ裁判」の傍聴席に座りました。敗訴でした。弁護士会館に移ると大勢の支援者がいました。「こんな厳しい裁判をよく闘っているなぁ」「大勢の人が自分のことのように怒ったり、泣いたりしている」と塚本さんはジーンときました。

一人っ子の塚本さんは、何かにつけて家制度に直面し、「その重さが苦痛でたまりませんでした」。フランス、ロシアなどのレジスタンスの歴史が好きになり、大学で歴史を専攻、高校の教員になりました。そして結婚。結婚式はしても届けは出さなかった。子どもが3人産まれ、そのたびに出生届と婚姻届を出し、すぐ離婚届を出し、塚本姓に戻しました。

「周りから、『内縁の妻なんだって』とか、『そんなみだらな関係はやめて、さっさと正式に結婚したら』と何度もいわれてきました」。でも信念はまげませんでした。

フルタイムの仕事、子育て、親の介護と続き、女性運動にかかわる時間はありませんでした。ところが60代になって、幼なじみの中島通子さん(弁護士、故人、当裁判弁護団の一人)と話す機会が増え、女性問題に目覚めました。中島さんの著書も読むようになりました。

塚本さんは、2002年、「ななの会(選択的夫婦別姓の会・富山)」を友人・山下清子さんらと創設し、夫婦別姓運動に地元で取組んできました。裁判を決意したのは、つい半年前。「mネット・民法改正情報ネットワーク」の坂本洋子さんとの相談が役立ったと言います。

「私は裁判が公平だなんて信じてなかったので、悪いですけど、三井さんが敗訴でも余り驚きませんでした。でも、こういう困難な裁判をしている三井さんをますます好きになりました。そして私も裁判をすることになるのではと、漠然と思いました」と、私を喜ばせました。

お断り:塚本さんが直接見た第1審はまさかの敗訴でした。しかし第2審(控訴審)は逆転勝訴となり、豊中市と財団の違法行為が認定されました。

(出典:ファイトバックの会 メールニュース 第60号 2011/1/12)

京都新聞1月7日朝刊

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