11月例会テーマ「館長雇止め・バックラッシュ裁判」について

遠山日出也

 今回、村井恵子さんと私が企画して、11月例会で「館長雇止め・バックラッシュ裁判」について、原告の三井マリ子さんにお話しいただくことになりました。11月26日(日曜)の午後(予定では2時〜)、ドーンセンター4階の大会議室3です。
 そこで今回はまず、既にご存じの方も多いと思いますが、三井さんが提訴に至った経過や裁判の状況をまとめておきます。

全国公募で館長に選ばれ、全力で仕事

 三井マリ子さんは、2000年に開設された豊中市の女性センターである「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」の初代館長に、全国公募によって60人以上の候補者の中から選ばれました。
 三井さんは、持てる力のすべてを投入して仕事をなさいました。たとえば「館長出前講座」といって、自ら公民館や学校、会社に出かけて話をして回ったり、英語でフェミニズムを教える手作りの講座の講師を毎年つとめたりしました。また、北欧から数々の要人を招いて、それらの国々の男女平等を紹介する企画を自ら何度も手がけ、ノルウェー大使館の協力なども取り付けて成功させました。こうした三井さんの仕事ぶりは、他に類例がないものであり、マスコミにも何度も取り上げられました。

バックラッシュ勢力の攻撃と市の屈服

 こうした三井さんの仕事ぶりが目障りだったバックラッシュ勢力(日本会議など)は、2002年秋頃から、「すてっぷ」と三井館長に対する攻撃を始めました。市役所前でのビラまきなどのほか、市議会でも北川(さとし)悟司)議員(民主党系[豊中市では与党]だが、西村真悟のようなタカ派)が「すてっぷにある多数のジェンダーフリー関連の図書は、すてっぷをはじめ学校図書館などから即刻廃棄すべきである」と主張しました。特に悪質だったのは、「三井館長は『専業主婦は知能指数が低い人がすることで、専業主婦しかやる能力がないからだ』と言った」という根も葉もない噂が意図的に流されたことです。
 豊中市は当初はバックラッシュ勢力に対峙する姿勢を示したものの、上の噂を流した一人である市議会の副議長に三井さんが面会に行こうとすると、それを何とか阻止しようとしました。また、バックラッシュについての報告書(すてっぷの内部文書)が攻撃されると、館長らに関係者への「お詫び行脚」をすすめるなど、しだいにバックラッシュ勢力に屈服していきます。
 そして遂には三井さんを辞めさせるのですが、その直接の背景は、豊中市が男女共同参画推進条例を通すために、条例反対派(北川議員ら)に三井さんの首を差し出したということだと見られています。このことは、反対派のために議会に上程さえできなかった条例案が、市が三井さん排除を決定したのと同じ頃に開かれた議会では一転して可決されたことや、その際に北川議員らは条例案を激しく非難しつつも、なぜか採決の際には何の修正も求めずに賛成したことなどから、そう推測されています。

女性非常勤職員の雇止め狙う

  ところで他の多くの女性センター同様、すてっぷも多くの非常勤職員(全員が女性)によって支えられていました。館長の三井さん自身も非常勤であり、週22.5時間のパート労働、年収360万円で、残業手当も昇給もボーナスも交通費もなしでした。
 ただし以前は、すてっぷの非常勤職員は1年契約ではあったものの、何回でも更新が可能であり、定年の60歳まで働き続けることができました(館長は定年なし)。ところが豊中市は「2005年には、設立当初から働いている職員の雇用期間が5年になる。それ以上働かせたら労基法上の『期間の定めのない雇用』とみなされ、使用者の都合による雇用の打ち切りができなくなる」と考え、館長以外は更新回数の上限を4回にする改悪案を出します。この案に三井さんが反対することは明らかでしたから、この点でも三井さんを排除したかったのです。

非常勤館長職を廃して三井さんを雇止め

 館長の三井さん―それまではごく形式的な手続きで契約が更新されていた―に対しては、「市のトップの判断」(本郷和平・人権文化部長の言葉)で、非常勤館長職自体を廃止することによって雇止めにしました。
館長自体をなくしたのではなく、常勤にしたのですが、それなら三井さんが就任するのが当然です。豊中市自身も「常勤になったら、第一義的には三井さんです」(すてっぷの山本瑞枝・事務局長)と口先では言いながら、三井さんに隠れて次期館長の人選をすすめました。そして、「三井さんは辞めることを了解している」と嘘をついて、現館長の桂容子さんに就任を受諾させ、「形式的なものだから」と言って面接試験を受けさせて合格させました。豊中市はすてっぷの労働組合や評議員にも嘘をついて、そうしました。三井さんにも形だけは面接試験を受けさせて不合格にし、2004年3月、雇止めしました。後に桂さんは、三井さんも面接を受けていたと知って驚き、三井さんに自分が就任要請を受けた時の状況を話します。

女性にとっての二大問題

 三井さんは2004年12月、豊中市と「とよなか男女共同参画推進財団」(市がすてっぷの管理をするために設立した財団。市が予算や人事を握っており、理事長は市の言いなり)を相手取って、慰謝料を請求する裁判を起しました。
 三井さんは今回の提訴をした理由として、この事件の背景に、非常勤労働者とバックラッシュという女性にとっての二大問題があることを述べています。
 なお私自身は男性ですので、一応ここで私がこの裁判にかかわる理由も述べておきます。私は「ある一つの社会における女性解放の程度は、その社会の一般的解放の自然的尺度である」と言われるように、いつ世であれ女性解放は、民主主義全般の発展と深く関わる重要問題だと思っています。
この裁判に即して言えば、いま日本では、一人一人の個を圧殺するナショナリズムが強まり、海外で戦争をする国になりつつあります。また非正規雇用が男性にも広がっており、私自身も非正規雇用です(仮に正規になれたとしても、かつて以上に「会社人間」的働き方が求められるようです)。こうした流れが続くならば、私の未来は暗く閉ざされると感じるので、抵抗しなければと思います。
そのために私は平和運動や非常勤講師運動にも参加しているのですが、男女平等へのバックラッシュは、ナショナリズムの強化をジェンダーの面から支えています。また非正規雇用が女性に多いこと自体は何ら変わっていませんから(もともと非正規が多かった女性に、近年さらに非正規が増えているので)、この問題を解決するためにも女性の自立を軽視するジェンダー構造の変革が必要です。だから私はこの裁判を応援しているのです。

市・財団の醜い言い訳、作り話、無反省

 裁判になると、市や財団は「館長は立ち上げ段階の一時的なものだった」「看板だった」と言い始めました。これが本当なら、公募に応じた多くの人々に失礼な話であり、また長期的・継続的活動が必要な女性の地位向上を軽視しています(実際、三井さんが計画していたのに実現できなかった企画は幾つもあります)。本当に醜い言い訳です。
 また、市は、「三井さんは『4年から5年(で辞める)』と言った」「三井さんは『嘱託職員はいつまでも雇用し続けないほうがいい。更新回数の制限は必要』と言った」などと、三井さんが絶対に言うはずもない作り話をしています。
 さらに市は、「桂館長も、自分も選考に落ちるかも知れないと承知していた」と書いた嘘の書面を作ろうとし、それを知った桂さんに「それ、嘘です。直してください」と言われたりします。また、桂さんが三井さんに自分が就任要請を受けた時の状況を話したことについて、武井順子・男女共同参画推進課長は桂さんに「そういうことを言ったから訴訟が起きたのよ」と言うなど、無反省です。

大法廷での証人尋問を求めて

 この裁判はいつもは45人収容の法廷でおこなわれています。ふだんの裁判は短時間で終わりますが、それでも傍聴希望者が多いために法廷に入れない人がたいてい出ます(東京や山口、徳島、札幌、シカゴなどからもいらっしゃいます)。
 そこで、この裁判を支援する会は、「多くの人が傍聴を希望するであろう証人尋問は大法廷(96人収容)でやってほしい」という要望を、傍聴希望者209人の署名も添えて裁判所に提出しました。弁護士さんも、大法廷での証人尋問を求めました。
 ところが裁判長は、大法廷は空いているにもかかわらず、なんの具体的理由も言わずに「この事件は大法廷ではやりません」と言うだけでした。
 しかし第一回目の証人尋問には案の定100人を越す人が集まり、法廷には半分以下しか入れませんでした。法廷に入ることができた人たちは「大法廷に移ればみんなが傍聴できます!」と訴えましたが、裁判長は、「抽選にするから一度法廷から出てください」と言うだけでした。裁判長の態度に怒って傍聴者たちはその場を動かず、結局、裁判長は当日の裁判を中止にしたため、人々は裁判を傍聴できませんでした。
 この前代未聞の裁判長のやり方は、当日のテレビでも報道され、裁判所には批判が多数寄せられました。そのためか裁判長もそれまでの態度を変え、三井さんの本人尋問だけは大法廷にすると決めました。
 こうした問題は、「開かれた司法」という点から見て重要なので、弁護団は引き続き裁判所に「大法廷の使用基準」を明らかにするよう求めていますが、せっかく大法廷になったことでもありますし、どうぞ傍聴においでください(詳しくは支援する会のHP参照)。

今後の裁判日程(証人尋問)

10月2日(月)大阪地裁809号法廷
10:00〜12:00 証人:とよなか男女共同参画推進財団理事長 高橋叡子

10月30日(月)大阪地裁202号大法廷
13:10〜17:00 証人:原告 三井マリ子


(出典:日本女性学研究会ニュース『VOICE OF WOMEN』 2006年9月号に掲載)


日本女性学研究会


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