男は男らしく、女は女らしく!

戦争への足音が聞こえる 〜バックラッシュとともに〜 

高橋 芳恵



  4月17日、元あごら札幌で活躍され今は東京在住の盛生さんに誘われ、「平和をわたしたちの手で! ピースウィーク in くにたち」に参加した。この日の「なんでも話そう女・こどもと戦争」の企画が盛生さん、お話と助言が三井マリ子さんだったからだ。私は長年、次々と有言実行されている三井マリ子さんのファンである。彼女は男女平等の先進国 EU、特にノルウェーでの力強い実践を詳しく伝えてくれていた。

 女たちから議員を出そうとおんなたちを応援し、次は自分から議員(東京都議)になった(私が出来るのは応援まで・・)。・・・1999年「男女共同参画社会基本法」が制定され2000年には、全国公募で約60名の応募者の中から選ばれ、豊中市の女性センター・『すてっぷ』の館長となった。「豊中市共同参画推進条例」を実行あるものとすべく、つぎつぎと、事業を企画・立案し、実施していった。実際、豊中市の住民がうらやましかった。・・なのに、その三井さんが排除された。豊中市は、館長を常勤とすることとし、『非常勤職員』であった三井館長を雇い止めにした。私は情報キャッチが遅く、裁判になってからこの不当な事実を知った。

 2001年3月「北海道男女平等参画推進条例」を定めたとき、「平等参画」とするために、おんなたちが大きなエネルギーを使ったことが思い起こされる。さあ、これからこの条例をフルに活用し、男女がお互いの人権を尊重し合いその個性と能力を充分に発揮して、ともに生きる社会を実現していきたいと願った。・・・社会の動きが逆行することなどない! 男女平等は嫌だ、と思っていてもこれからは口にはできまい、と。 ところが、もう、この頃から着実に保守勢力からの攻撃は始まっていたのだ。伝統的な性別役割を固持し、社会文化的に作られた男女の特性を強調し、女性の地位向上、男女平等の推進を阻もうとする勢力の動き(こうした現象は、世界的にバックラッシュ(反動・逆流 Backlash)と呼ばれている)。

 三井さんは何故更迭されたのか? 「男女がお互いの人権を尊重し合いその個性と能力を充分に発揮して」もらっては困る人たちがいるのだ。私はこの勢力は「戦争をする国作り」をしていると思う。命令ひとつで、疑問をさしはさまず、「敵」を殺す兵隊を作りたい。それには、少子化はでは困る。男女平等も困る。豊中市では2002年夏頃から『すてっぷ』や三井館長への攻撃がはじまった。市議会議員Kの度重なる嫌がらせ質問、すてっぷ窓口への妨害行為、市役所周辺での悪質なビラ撒き、講演会における難癖、根も葉もない噂の流布・・・。市当局は当初はバックラッシュに対峙する姿勢を見せたが、03年の秋頃になると三井館長の排斥を画策するようになった。

 2005年4月14日、大阪周辺のローカル番組、「毎日テレビ VOICE 」で三井さんへのバックラッシュが報道された。「総右傾化の中、こんなに良い番組が本当に報道されるのか」ぎりぎりまで心配した。でも、報道された。うれしかった。後日、東京で三井さんから「ビデオ」をいただいた。

 これによると、先の度重なる右翼の嫌がらせ等は「(・・・相手が恫喝と思おうが)大きな声でお願いする。これは合法でしょう。違法行為はいっさいしません。合法は一杯、一杯やりますよ!」ということになる。・・・右翼等からのまきかえしは、いろいろな地域で同時多発、自然発生なのではまく、どこかに“司令塔”があるようだ。おなじみの西村真悟衆議院議員は「女性が家庭を維持するために大きな役割を担っている。これ当たり前じゃない。私、あえて申しますよ。世の中で一番素晴らしいことは、愛する子どもを育てることです。このことがなかったら、社会自体も存続しません。女性が安心して出来るよう、男はある意味、命を捨ててでも働くということ!」・・・お国のために命を捨てるという『愛国心』をもて、ということ?

 今年も、きれいな桜を探して仙台の街を歩いた。久しぶりに行った青葉城址にある神社から耳障りな軍艦マーチが聞こえる。実際には博物館からだったが・・。 五分咲きの桜を見ながら吐き気がして早々に帰ってきた。・・・ラジオから さだまさしの「関白亭主だか亭主関白」だかの歌が聞こえる。人気があって今年リメイクされるらしい。オリジナルが半分くらい聞こえたところでまたまた吐き気がして、ラジオを止めた。

 私も、3年前まで、独立行政法人となった研究所で非常勤職員として働いていた。これまでの一律の給与体系から、いくらかの経験・資格などが考慮されるようになり、各種保健もつくようになった、と喜んだ矢先「給料が高くなって(あなたを)雇う予算が無くなった」と言われてあっさり辞めてしまった。私の場合は「気力・体力・金力、そして周辺事情の良好」なうちに旅に出たい、という欲望が勝っていたから、かえって好都合、と自己合理化してしまった。・・・しかし、今、三井さんが言う「私のこのくやしさは多くの人が味わっている」というくやしさは私が長年味わってきたものだ。

 この訴訟は何としても勝ってもらわなければならない! 三井さんの後ろにいる、ものいえず苦しんでいる多くの女たちのためにも・・・。



 

出典:『あごら札幌』No.258 (2005.04.27 発行)

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