「使い捨て」にされる女性センターの職員たち 



甘利 てる代(フリーランスライター)

 

 全国にある女性センター・男女共同参画センターの数は、都道府県レベルで40カ所、市町村区では255カ所だ(内閣府男女共同参画局)。決して多い数ではない。
 「平成の大合併」がすすみ、全国の市町村の数が急速に減っている。市町村合併の問題はさておいても、現在の2419の市町村に255カ所の女性センター・男女共同参画センター(以下・女性センターとする)では、11市町村に1カ所の女性センターしかない計算だ。いわば希少価値のあるこれらのセンターで、女性の職員は大切にされているだろうか。


 再就職したものの

 東京都の運営する女性センターに就職したKさん(仮名・40代)は、張り切っていた。大学卒業後、専業主婦時代を経て念願の再就職が叶ったためだ。
 再就職に当たっては彼女なりの準備をしてきた。まだ手のかかる幼い子どもがいたが、大学院に通い女性学を学んだ。学んだことを活かせるような仕事に就きたいと思っていた。
 「月に15日の勤務は、午前九時から午後5時45分まで。月収は1ヶ月約18万円。交通費は支給。1年ごとの契約更新で、雇い止めはなく、希望すれば65歳まで勤められると言われました」
 仕事内容は講座の企画だ。これまで培ってきたネットワークを活かし、女性に役立つ企画を立てたいと胸躍る思いだった。
 ところが、である。
 内部に入って知らされたことは驚きの連続だった。
「職員の7割が非常勤で、3割が都の正規職員という構成でした。センターの責任のある仕事のほとんどを、非常勤職員が担っているという現実です。私が入る以前も、時間内で仕事が終わらず時間外勤務が続くことがあったそうです。私自身もしばしば家に仕事を持ち帰りこなしてきました。そうしないと消化できない量だったのです。にもかかわらず、正職員にはついている残業代がつかないと言われていました」
 後に残業代は非常勤にもちゃんとつくことが判明するのだが、これがKさんが最初に遭遇した「何か変」である。


 契約更新

 就職する前は「正職員の補助的な仕事から始まるのかな」と思っていたKさんだったが、そうではなかった。入ってすぐに企画指示の出たシンポジウムでは、企画を一から立てることに始まり、講師交渉、チラシ作成、広報まで、すべてが非常勤職員に丸投げされることが分かった。
 「仕事のやり方について系統だった説明もなく、前年度までの仕事の記録も頼まないと見せてもらえませんでした」
他の仕事でも、もめた。
 何度出しても企画案が通らない。受講生の立場に立った講座内容を盛り込んでいるのに、見当違いの理由で反対された。女性センターの職員でありながら、正規職員である管理職の女性たちは一般女性の状況に理解がないことが分かった。
 一ヶ月半の交渉の後、ようやく決定。粘り強く交渉したのが、上司には「なまいき」にとられたかもしれないと振り返る。
 追い打ちをかけるように、年が改まった一月、契約更新についてのヒヤリングで、次長から一方的に契約打ち切りを言い渡された。
 「その理由が、人間関係が原因という漠然としたものだった」という。
 継続して働きたいと考えていたから、いわば寝耳に水だ。何度か話し合いをするが、センター側も譲らない。何度目かの交渉で次長(女性)は言った。
 「正規職員だったら異動させられるんだけど・・(非常勤だから辞めてもらうしかない)」
Kさんは弁護士に相談することにした。採用が決まったとき、雇い止めはなく契約の更新を重ねて六五歳の定年までいられると言い渡されていたからだ。
弁護士はそれがあくまでも口頭であること、ならば任期満了として法律上は不備がないことを指摘した。
「悩んだすえ更新をあきらめ、自己の都合でという理由で退職することにしました」でも、とKさんは言う。
 「女性の自立を側面支援する女性センターの非常勤職員が、実は経済的にも自立できない状況にあるなんてやっぱりおかしいと思うんです」
 正規職員と同じ仕事をこなしていても、昇級もボーナスもない。加えて、契約がいつ打ち切られるかびくびくして働かざるを得ない。組合もあるが、相談しても、効果が出るわけでもない。身分が不安定であることは否めない。


 格差

 女性センター職員の大半を占める非常勤職員の実態を調査した、「女性センターで働く人たちは 女性(男女共同参画)センター非常勤職員労働調査」(ぐるーぷ・わいわい発行。2003年とよなか男女共同参画推進財団グループ・団体支援助成交付金事業)がある。
 調査は大阪府下と近郊の女性センターなどの非常勤職員83人にアンケートしたもので(回答者数59人)、2003年9月から10月にかけて行われた。
 女性センターでは20代から60代までの女性が、非常勤職員、非常勤嘱託、パート職員、アルバイトなどで雇用されている。正規職員に対する非常勤の割合は、5割以上のところが87%で、圧倒的に非常勤職員が多い。非常勤職員によって女性センターが運営されているといってもいいだろう。
 勤務日数は週4〜5日の人がほとんどであるが、一日の労働時間は七時間半から八時間。残業も「ある」「ときどきある」をあわせると45%だが、残業手当が出るのは34%で、55%の人が残業手当がつかないと回答している。
 収入だが、固定給(月給)は61%で、日給、時間給で働いている人は34%。一ヶ月の収入は、最も多かったのが15〜20万円、ほとんどの人が月収15万円以下で働いている。ボーナスは、「ある」が46%、「ない」が49%だった。
女性センター以外の仕事をしている人は、「定期的にする」「ときどきする」を合わせると44%となり、その理由は「経済的理由」(44%)が圧倒的で、女性センター勤務だけで生活が成り立たないことが分かる。
 昇級制度は「ない」が77%、「ある」が20%。雇用期間で最も多かったのは「1年」の64%で、契約更新制度が「ある」のは90%だった。さらに雇用期間を過ぎ、更新ができても、上限が定められていることもあり、それが「雇い止め」といわれる解雇でもある。
 正規職員と同じように働いている姿が浮き彫りにされたわけだが、では会議には参加できるのか。
 決定権のある運営会議に参加できるのはわずか12%で、73%の人が「参加できない」と答えている。さらに、センターの啓発事業の決定に参加できるかという質問では、59%の人が「参加できない」と回答している。
女性センターの非常勤職員には、さまざまな場面で、正規職員と比べて大きな格差があるのだ。


Mさんが辞めた理由

 東京近郊のW県・S市の女性センターに、相談員として勤務していたMさん(40代)も2年で辞めた。「もっと働きたいから」という理由だ。
 日給9000円、交通費はなし、月15日以内の勤務で労災はあり。一年ごとの契約更新だと説明を受けた。女性問題の勉強をしてきたMさんにとって、相談員は「やりたい仕事」だった。交通費が出ないのが気になったが、採用を喜ぶ気持ちの方が勝った。
 「年収が140万円くらいでした。夫の扶養からはずれましたが、交通費が年間25万円もかかってしまい、それは経費として落とすことができなかったのです」
 交通費がかかったのは、相談者のプライバシーを守るためにという理由で、相談員を市内ではなく市外から採用する仕組みだったから。もともとS市の非常勤職員は、市内から多数採用されており、交通費は支給されていない。当然Mさんには支給されない。
 職場環境は悪くなかったが、損な働き方だと気がついた。
 「女性を支援しているのに、自分が経済的に自立できない。せめて社会保険がつく職場に転職したい」
 何よりもMさんが職場を去る決意をしたのは、夫の収入に頼らずに自活したいと思ったからだ。さらにMさんは言う。
 「正規職員は、最近は特にジェンダーということばを極力使わないようにしていました。例えば講師にジェンダー学などという肩書きがついている場合などは、意識的にはずしていましたね。もともと講座の企画は正規職員が行っていましたが、クレームがつかないような無難なものばかりで・・・」


 

攻撃される女性センター

 「私が勤務していた女性センターにも、しょっちゅうチェックにくる男性(都議)がいました。それまで女性活動家のパネルが入り口近くに掲示されていたんですが、これは天皇制に反対した人間でけしからんやつだからはずすようになどと言い出して、結局、センター側はそれを受け入れたんです」
 確かに、女性センターに行くと、以前あったパネルが撤収されていた。
この都議は、女性センターの資料室のものは女性のものばかりで偏っていると苦情をくり返していた。所長はビクビクしていたとKさんは言う。
 なぜこれほどまで堂々と乗り込んでくるのか。 「バックラッシュ勢力は国会議員を巻き込んだ全国的な組織。日本の津々浦々で確信犯的な運動を展開しています。油断していると大変なことになります」

 こう言うのは大阪府豊中市の男女共同参画センター、通称「すてっぷ」の初代館長だった三井マリ子さんだ。三井さんは現在「館長雇い止め・バックラッシュ裁判」の原告でもある。2004年12月に、不当に雇い止めにされたとして損害賠償請求訴訟を起こした。
 三井さんの訴状によれば女性センターへの攻撃、嫌がらせは、ウィメンズへのそれと酷似している。
 たとえば、豊中市の男性市議は、すてっぷ情報ライブラリーの蔵書、選定者などを議会で「即刻廃棄すべきである」と糾弾したり、市民活動支援金事業に選ばれた団体名のジェンダーフリーという表現を攻撃している。
 嫌がらせはすてっぷ主催の事業内容にまで及び、フェミニズムという名のついた講座名を「センターはフェミニズムを勉強する場ではない」とまで議会で批判している。
結局、市はバックラッシュに屈して、非常勤館長を常勤化するという組織編成を行うことで非常勤の三井さんを雇い止めにしたのだ。

 今年4月9日、都内文京シビックセンターで開催されたシンポジウムで、三井さんは「この裁判は非常勤差別と闘う裁判です。使い捨てにされてたまるかという気持ちで提訴しました」と語った。差別とバックラッシュの根源がどこにあるか、法廷で明らかにされるこの裁判、どのような判決が出るか見届けたい。

 狩俣信子さん(沖縄県県議)は、県の女性センター「てぃるる」の開館の際、当時の知事から抜擢されて館長になった人だ。ところが、知事が変わると同時に、任期途中にもかかわらず突然、「県政が変わったので辞表を出すように」と言われた。この理不尽さに納得できなかった狩俣さんは、県議会での議論を求めた。結果、任期は守られることになった。
狩俣さんは館長時代を振り返って言う。
 「女性センターは館長の姿勢が重要です。男女平等の拠点であり、女性たちの活躍の場を作りあげていくことが求められているのですから。確かに予算との関係で職員をすべて正規雇用することは厳しいかもしれません。しかし、館長は非常勤職員がステップアップできるような支援体制をつくることはできるはずです」
 館長時代の狩俣さんは、非常勤職員が資格習得のために長期休むことを認め、彼女が休んでいる2ヶ月間、大学生アルバイトを雇うなどの手当を講じた。これは珍しい例だ。狩俣さんに見るように、館長の権限は大きいが、たとえ館長であっても、非常勤というのは、いつ首になるか分からない身分なのである。
 女性の自立、社会参画を支援している女性センターの非常勤職員は、せめて同一労働同一賃金であることが基本だろう。働く女性の過半数が非正規社員の今の時代、女性センターの非常勤職員の問題を他人事としてはならない。


出典:『ファム・ポリティク48号』 (発行:2005年6月25日 )

 

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