2000年全国公募の応募者として

2005年10月23日

福間 公子


 私は三井さんが提訴したこの裁判を、ほとんど毎回傍聴して参りました。それは、この裁判が単に三井さん個人の問題だけではなく、女性の働き方、人権の問題であると思ったからです。さらに、私自身が2000年春、三井さんと同様、豊中市が男女共同参画推進センターの館長を全国公募した際、応募した1人であり、裁判の成り行きは他人事とは思えません。

  2000年5月、豊中市は男女共同参画の実現をめざす拠点施設として秋に「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」を開設するとし、その館長を全国から公募しました。館長公募は県レベルでは前例がありましたが、市レベルでは初めてのことであり、その進取の精神に「さすが豊中」と思いました。豊中にはいろいろな市民グループが男女平等に向けて活動していることを知っていたからです。

 募集要綱を取り寄せてみると、そこに書かれている内容は、すてっぷの概要といい、財団の目的といい、私の住んでいる芦屋市のそれと比べて格段に立派なものでした。そこには枠で囲んで高らかに宣言してありました。

 豊中市は男女共同参画社会の実現をめざす拠点施設として、今秋「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」を開設します。ここでは、豊中市が設立する財団法人(設立準備中)が、男女共同参画社会づくりを推進するため、柔軟で多様な事業展開を行ないます。

 これを読んで、きっと多くの人が、そこで持てる力を発揮して働きたいと思ったことでしょう。私も親しい友人と相談をし、応募しました。その年の3月末まで、芦屋市の女性センター長の任にあったので、その経験や自分の考えが微力ながらでも活かせると思ったからです。募集要綱によると、館長は非常勤嘱託で、とりあえず翌年3月31日までとなっておりますが、これは年度替りの期限であって通常更新されていくものと自然に思いました。施設の趣旨からいって継続的な仕事であることは明らかだからです。

 書類(小論文)による一次選考を経て、面接に臨みました。選考委員は市の責任者や学識経験者と市民の代表の方で構成されているようでした。このことにも私は民主的な選考方法と新鮮な印象を覚えたことを思い出します。一方、全国公募をするからには、その館長を支える体制が出来ての上のことであろうと思ってもいました。応募者は約60人、面接を受けたのは10人と聞いております。

 私は残念ながら採用されませんでしたが、後になって三井さんに決まったということを知ったとき、三井さんとの面識はありませんでしたが、それまでの活動から豊中市民にとっていい結果に落ち着いたと内心喜びました。

 以来、近隣の女性センターに届くチラシなどから、すてっぷの事業に注目しておりましたが、講座のテーマの着目といい、人脈の豊富さを活かした事業展開といいさすが三井さん、と直接参加はできませんでしたが感心しておりました。三井さんは男女共同参画社会への実現に向けて立派に職務を果たされていたと思います。

  三井さんの陳述書によって、すてっぷオープンの際、館長には紹介の場すら無かったことを知り、愕然としました。改めて館長募集要綱を読むと、確かに館長の職務内容の中には館の統括という類の文言は無く、企画・立案及び実施の統括などになってはおります。しかし、企画・立案は館の生命です。常識的にも館長という名からして館を代表する責任のある地位と考えます。面接の中でも企画立案のみという説明は全くなく、館長としての抱負や経歴を聞かれたように記憶しています。

  裁判のなかで、被告側は、盛んに「看板」とか「知名度」とかの言葉で、あたかも三井さんの仕事は初動の豊中市の知名度を上げるためのものであって、役目を終えたから解任するのは当然のような証言をしていますが、もしそうだとしたら、それを謳って公募をするべきであり、腰を据えて仕事をするつもりで応募した多くの応募者、採用された三井元館長に対して大変失礼な仕業と思います。 以上。



トップへ戻る
トップページへ

Copyright(C)ファイトバックの会All rights reserved.