結審を終えて

21世紀の奴隷解放運動とインフォームド・コンセント

2009年5月22日    

三井マリ子       

大阪府豊中市すてっぷ初代館長

 2003年11月8日の夜9時過ぎ、帰宅しようとしていた私は、豊中市人権文化部長から「組織変更案」なるものを、唐突に知らされました。館長と事務局長を1本化し、館長を常勤にするというものでした。これが間接的な首切り通告だったということは、裁判の中で、明らかになりました。

 豊中市の首の切りかたは陰険でした。私の人生の一大事について、当の私に対して正確に説明することも、私の意向を確かめることもしませんでした。それどころか、私には「常勤になったら第一義的には三井さん」と告げ、一方で「三井は常勤はできないと言っている」という嘘を振りまいて、秘密裡に後任探しに奔走したのです。

 ご承知の通り、医療の世界では、いまやインフォームド・コンセントは当たり前です。私が手術をうけるとしたら、医者は、その手術はどういうもので、私の体にとってどんな影響があるかを詳しく説明して、手術をしないとしたらどういう選択があるかまで示した上で、手術の同意を取り付けます。命に関わる事は、本人の納得の上で事を運ぶのが、当然のルールになっているのです。

 しかし、つい20年ほど前までの日本の医療界では、常識とはなってはいませんでした。労働の世界は、こんな20年前と同じだ、と思います。

 職を失うことは人生最大のピンチです。命に関わる事です。詳しく説明して本人の納得を得る作業は、雇用主の義務です。それが人間を人間として扱う社会の、最低限のルールです。しかし、豊中市は私を人間として扱いませんでした。使い捨ててなにが悪い、というような態度でした。

 日本全国に目を転ずると、非常勤職は陰険な首切りのされ放題です。高裁裁判長に提出した皆さんからの「陳述書」は、民主的社会なら当たり前のインフォームド・コンセントがまったく定着していないことを如実に示してくれました。「非常勤職は21世紀の奴隷」と、私が言ってきたのは、この点なのです。私は、この裁判を、21世紀の奴隷解放運動のつもりで闘ってきました。

 裁判も、判決を待つだけとなりました。弁護団の皆様、館長雇止め・バックラッシュ裁判を支える会やすてっぷ裁判を考える豊中市民の会の皆々様、実名を明かさずに支援して下さっているMさん、Iさん…長い間のご支援、本当にありがとうございました。東京大阪の往復も150回を超え、“住所不定の生活”もついに終わるのかと思うと、ちょっと寂しい気もします。でも、やれるだけのことはやりました。みなさまのご支援には、感謝の言葉もありません。


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