ジェンダー攻撃に負けるな!

大阪府豊中市男女共同参画推進センター初代館長
館長雇止め・バックラッシュ裁判原告
三 井 マリ子


『アジェンダ』11号 2005年12月発行

男女平等を求める世界の流れ

 この世は、家に「主婦」を持つ男性を中心とする考え方で回っています。その結果、働く女性にとって、不利益なことが多々あります。こうした社会を変えていくために、60年代後半から女性解放運動が世界中で巻き起こりました。

 特に国連の取り組みはめざましく、75年を「国際婦人年」と定め、第一回世界女性会議をメキシコで開きました。その後76年から85年までを「国連婦人の10年」とし、男女平等を促進するための「世界行動計画」を採択、その実行を各国に呼びかけました。

 「女性差別撤廃条約」は、こうした諸政策の集大成です。あらゆる分野のあらゆる形態の女性に対する差別をなくすことを義務づけています。

 85年、わが国は、この女性差別撤廃条約を批准しました。そして95年には、第四回国連世界女性会議が北京で開かれました。女性が政策決定の力をはじめとする、あらゆる力をつけることをめざした「北京行動綱領」が採択されました。男女平等を更に実現するための指針が示されると同時に、各国政府の実行責任も強調されました。

 この世界の動きに歩調を合わせて、日本でも九九年に「男女共同参画社会基本法」が制定されました。さらには各自治体においても、次々に男女共同参画条例が制定されるようになりました。 ところが、各地で条例が制定され始めた矢先、保守勢力からの執拗な攻撃が始まりました。全国各地の議会で「男女共同参画条例制定に関わる質問」が横行し始めました。

 彼/彼女らは、旧来の性別役割を固持し、社会的文化的につくり出された男女の特性をことさら強調します。そして、依然として存在する女性差別を「特性」の名のもとに覆い隠し、男女平等の推進の歩みを止めようとするのです。

 衆参両院から地方議会まで、男女平等つぶしの継続的攻撃。これはほんとにすごい。世界でバックラッシュ(backlash 逆流、反動)と呼ばれる現象です。

「日本会議」と「新しい歴史教科書をつくる会」

 多くの議会をバックラッシュ勢力が支配する背景に、広範囲なオルグ活動、継続的なキャンペーン活動があります。全国にはりめぐらされた組織網とそれを支える資金が必要です。それに呼応する自治体の首長や行政幹部もいます。多くの議員に賛成してもらうには住人に賛同者もいるでしょう。

 その背後には、改憲を最終目的とする日本最大の右派集団「日本会議」と、「従軍慰安婦」などが記述されている教科書を攻撃する「新しい歴史教科書をつくる会」がいると考えられます。

豊中市のバックラッシュ勢力

 バックラッシュ勢力がどんなに陰湿な攻撃をするのか。私が体験した実例をあげます。

 2000年春、大阪府豊中市に『すてっぷ』という名の男女平等推進の拠点ができ、その初代館長が全国公募されているのを知り、応募しました。60人以上の応募者から選ばれて館長に就任しました。

 一方、豊中市は、2002年、懸案の男女共同参画推進条例制定にとりかかりました。この議会審議の過程で、一部男性議員からいわゆるバックラッシュ発言が相次ぎました。その一人、北川悟司議員は、宇部市で制定された条例をモデルに引き、旧来の男らしさ・女らしさにこだわり、専業主婦の役割をことさら高く評価するよう主張しました。

 2002年8月2日の市議会で、北川議員は質問をこう締めました。

「最後に東京女子大学の林道義教授の示唆に満ちた論文の一部を紹介し質問を終りたいと思います」
「ジェンダーフリー運動は、・・・日本中が文化大革命の様相を呈しているのである。家族を破壊し、日本を腐食させる彼らの隠された革命戦略を暴き警告を発したい」

 北川議員は、すてっぷについて、2002年12月の議会でこう述べています。

「すてっぷライブラリーの蔵書の中にある多数のジェンダーフリー関連の図書は、市民に誤解を生む原因になります。一方的な思想を植えつけるような図書は、すてっぷをはじめ学校図書館などから即刻廃棄すべきである」

 同じ頃、すてっぷには利用者風情の人物が何回も来て、「ここの主は誰だ」「館長はなんでいないのか」などとすごみ、窓口業務を妨害しました。

 頻繁に圧力をかけてきた一人は、北川議員が理事長を務める「教育再生地方議員百人と市民の会」の事務局をあずかる男性でした。

「教育再生地方議員百人と市民の会」は、「日本会議」「新しい歴史教科書をつくる会」と密接なつながりを持つ組織だと言われ、教育基本法の改正を目標にしています。吹田市に事務局を置き、現・元国会議員、宇部市議や東京都議に加え、藤岡信勝、高橋史朗諸氏が参加しています。この団体のリーダーである北川議員は、以前は、教科書採択問題や国旗国歌斉唱について議会で執拗に質問をし、節目節目で「産経新聞」が彼の発言を持ち上げてきました。

 バックラッシュ攻撃は、講演会の妨害行為もしました。私の講演終了後の質問時間に、「一市民」と称する女性二人が、「あなたは結婚しているか」「子どもを育てたことがあるか」「子育てと介護は私には人生の喜びだ。どう思うか」「宇部市条例に賛成か」「自衛隊への女性進出をどう思うか」などと発言しました。私はすべてに回答しましたが、会終了後も事務室までついてきて「もっと質問がある」などと繰り返しました。来客があった私は、それを伝えて彼女に帰ってもらいました。

 ところが、この日のことが、次のように捻じ曲げられて、市役所前でチラシとして撒かれました。
「すてっぷの三井マリ子さんは、男女共同参画社会についての市民からの質問に答えない! 逃げている!」

 そのチラシには、ジェンダーフリーの実態は男性と女性の区別がつかなくなった社会だとか、フリーセックスを奨励して性秩序を破壊するものだ、と書かれていました。「男女共同参画社会を考える豊中市民の会」なる団体が作ったものでした。

「ジェンダーフリー」を曲解

 バックラッシュ勢力が攻撃の的にする「ジェンダーフリー」という用語について少し説明します。男女の差異には、「生物学的性=セックス」による差と、「社会的文化的につくられた性=ジェンダー」による差があります。

 前者は、生物学的な性=セックスにもとづく差異です。

 後者は、男女にふさわしいとされる行動や態度です。例えば、「男は外、女は家」という性別による役割規範や、「男らしさ」「女らしさ」という典型化された男女の特性による行動規範です。重要なことはこのジェンダーによる差は、男性優位の社会秩序をつくり出し、補強し、維持してきた点です。女性差別の原因は、セックスの差にあるというより、むしろジェンダーによる差にあります。それゆえ、ジェンダーに敏感な視点で、教育、家事、労働等あらゆる分野において差別の見直しがされ始めたのです。

 日本では、90年代後半から主として行政において、このジェンダーにとらわれないことを「ジェンダーフリー」と呼ぶようになり、性による呪縛からの自由といった意味合いで、この表現が使われるようになりました。

 実は、私はこの言葉をこれまで使ったことがありません。この言葉が出てきた頃、フェミニストのメーリング・リストなどで誤解を招くから使わないほうがいいのではと提案した記憶があります。

 ジェンダーは「性」であり、性差別を意味しません。英語でジェンダーフリーという場合のフリーは、「〜からの自由」ではなく「〜がない」にあたります。ですから「ジェンダー(性)がない」と取られ、ジェンダーによる差別に着目しない、という意味になってしまいます。これでは、積極的差別是正策などを実行しにくいのです。実際、アメリカでは男女平等の運動を進めていく際には、ジェンダーに敏感というジェンダーセンシティブという表現が用いられているようです。

 日本の行政が使ってきた意味合いでのジェンダーフリーは和製英語に近いといえます。この言葉の持つあいまいさにつけ込んで、この言葉を男女平等攻撃の道具として使ったのが、バックラッシュの勢力です。 この勢力は、「ジェンダーフリーとは性差の撤廃をすることで、学校などでトイレ、更衣室を男女で同じくする動きだ」とのデマをふれ回っています。そして、ジェンダーフリーを主張する側を、性差の完全撤廃をめざし社会制度を破壊する連中、などと攻撃するのです。

 北川議員も、大阪府内で開かれた「男女共同参画社会を考える市民の集い」(日本会議系)の挨拶で、「すてっぷという施設が豊中の駅前にある。そこがジェンダーフリーの拠点になっておる」などとして、すてっぷを攻撃しました。豊中市議会では、条例案のたたき台となった審議会答申の趣旨に添った条例にはさせまいと、「ジェンダーフリー阻止」の名の下に、条例案を攻撃し続けました。

非常勤館長はずし

 豊中市は、バックラッシュ勢力の攻撃による混乱をさけようと、03年3月に制定を予定していた男女共同参画推進条例案の上程を、一旦取り下げました。日本会議大阪のホームページには、北川議員の名前を出して条例案取り下げを評価する記事が掲載されました。

 その頃、すてっぷ窓口には、「館長に会いたい」「いつも館長は不在か」などという男性がやってきて、トイレの色が男女で同じだ、とか、前からすてっぷに不満だった、などと職員にからんだりすることもありました。「三井の過去を知ってるか」という電話もありました。チラシまきをしていた団体から「三井館長に直接会って質問したいことがある」という電話や手紙も来ました。

 2003年夏、九月議会への条例案上程・制定に向けて、市の幹部は市議会会派に説明と意向確認に動きました。とくに、北川議員など「条例断固反対」議員が所属する「新政とよなか」には懇切丁寧に行われたと推測できます。同会派は公明党に次ぐ第二与党なのです。こうして9月16日、条例案は議会に上程され、委員会において賛成起立多数で可決されました。その委員会に属し、条例断固阻止の急先鋒だった北川議員も賛成に回りました。

 この9月議会と前後して、私への個人攻撃はさらに激しくなりました。とくに悪質なのは、「すてっぷの館長は、講演会で『専業主婦は知能指数が低い人がすることで、専業主婦しかやる能力がないからだ』と言っている」という根も葉もない噂です。

 豊中市内にあるモラロジー会館で開かれた北川議員主催の会で、ある参加者がみんなの前で『噂がある』と言ったということでした。市議会の副議長が、その噂を市の幹部に流し、市の幹部が何人も聞いていました。

 このようなバックラッシュに関わる数々の事件と前後して、市から、すてっぷ組織強化案なるものが出されました。中身は「非常勤の館長職を廃止し、事務局長と兼務の常勤館長とする」でした。市は、臨時に理事会を開き、その議案を通しました。私は、その場で、新しい常勤館長の採用選考試験を受けたいと申し入れました。採用試験を受けました。不合格でした。

 実は、市は03年秋頃から極秘に後任館長の人選を進め、候補者リストを作成し、個別に打診をしては断られていました。そして、私が受けた採用試験らしきものの2ヶ月前には、すでに次期館長を決めていました。

 採用試験が茶番であることを知ったのは、採用試験が終わってからでした。こうして市は、2004年3月で私を排除しました。

使い捨てにされてたまるか

 私は、首を切られて10ヶ月経た04年暮、豊中市相手に損害賠償請求の民事訴訟を起こしました。 合理的理由なく採用を拒否したことの違法性を追及し、非常勤の使い捨てをするな、という判例を勝ち取ろうという裁判です。不当な首切りの背後にある陰湿なバックラッシュ勢力と闘う裁判でもあります。ぜひとも、この裁判に関心を寄せてください。


訴状など全情報は左記ホームページから入手できます。
http://fightback.fem.jp

『アジェンダ』11号のお求めは http://members10.tsukaeru.net/agenda/home.htm


(出典:『アジェンダ 未来への課題◎特集 ジェンダー・バッシングに抗して』
アジェンダ・プロジェクト 2005.12.15発行)


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