『あごら』305号 特集 ジェンダーバッシング
館長雇止め・バックラッシュ裁判

三井マリ子


『あごら』305号 ジェンダーバッシング


 「オスとメス、男と女というのは有史からずっとあるわけですから、男性は小さいうちから男性の自覚を、女性も(女性としての)自覚を育てていくべき……」

 「(三井さん側の主張は)マルクス・エンゲルス(旧ソビエト)の思想にある、女性を解放しましょうと、育児から解放しましょう、家事から解放しましょうと、一種いわゆる社会革命です」

 大阪府豊中市議会議員の北川悟司氏は、2005年4月14日、毎日TVの特集番組でこう言いました。女性は、子どもの頃から女性としての分に応じて生きるように育てなければならない、そして、フェミニズムは共産主義革命なのだ、と彼は言いたいようです。


 私は、2004年3月まで、この北川議員のいる大阪府豊中市の男女共同参画推進センター『すてっぷ』の館長でした。

 少し前にさかのぼります。2000年春、私は、大阪府豊中市に『すてっぷ』という名の男女平等を推進するための拠点ができ、その初代館長が全国公募されているのを知り、応募しました。60人以上の応募者から選ばれて、同年秋から『すてっぷ』で働き始めました。

 一方、豊中市は、2003年3月に男女共同参画推進条例の制定をめざしていました。2002年春、審議会から条例案に関する答申が出されると、市議会で、一部議員から「議会質問」の形をとって、条例案に注文をつける発言が相次ぎました。その一人が、北川悟司議員です。所属は「新政とよなか」という民主系会派で、豊中では市長与党第2党です。


 北川議員は、2002年6月に山口県宇部市で制定された男女共同参画推進条例をモデルに引き、旧来の男らしさ・女らしさにこだわり、専業主婦の役割をことさら高く評価するよう主張しました。北川議員が賞賛する宇部市の条例は、審議会答申にあった「個人の尊厳が重んぜられること」が「男らしさ女らしさを一方的に否定することなく男女の特性を認め合うこと」に変えられました。「積極的改善措置」に関する規定は削除されました。

 2002年8月の市議会では、北川議員は質問をこう締めました。

「最後に東京女子大学の林道義教授の示唆に満ちた論文の一部を紹介し質問を終りたいと思います」

以下が、彼が読み上げた「示唆に満ちた」論文「男女平等に隠された革命戦略 家族・道徳解体思想の背後に蠢くもの」です。

「フェミニズム運動は男女平等を目指す女・子どもだけの運動ではない。その背後には、日本の革命を目指す勢力または日本の健全な文化と秩序を内部から崩し、力を弱めようという勢力が隠れている。ジェンダーフリー運動は、その勢力が周到に準備し遂行している革命戦略の一環である。(中略) 家族を破壊し、日本を腐食させる彼らの隠された革命戦略を暴き警告を発したい」

 北川議員は、条例案への注文と同時に、『すてっぷ』についても質問を繰り返しました。受付窓口対応から事業内容まで槍玉にあげました。たとえば、『すてっぷ』の情報ライブラリーについてはこう述べています。

 「すてっぷライブラリーの蔵書の中にある多数のジェンダーフリー関連の図書は、市民に誤解を生む原因になります。一方的な思想を植えつけるような図書は、すてっぷをはじめ学校図書館などから即刻廃棄すべきである」

 まるでナチスの「焚書」を思い起こさせます。


 同じ頃、『すてっぷ』には「市民だが」と称する利用者風情の人物が何回も来ました。うち一人は、「教育再生地方議員百人と市民の会」の事務局と名乗る男性でした。教育現場に政治的に強引な介入をする運動体で、同会の理事長は件の北川悟司議員です。

 自称市民の男性は、「男女共同参画を推進する施設ですので、この目的を損なうようなものは遠慮いただいている」と、『すてっぷ』で部屋の使用を断られると、豊中市役所に駆け込んで、「すてっぷから『貸せない』と言われた。なんでや」などと市にねじこみます。

 また彼が関わる「『男女共同参画社会』を考える豊中市民の会」と称する会が、市内でチラシをまきます。そこには「ジェンダーフリーは、フリーセックスを奨励し、性秩序を破壊することになります。そうなると結局、被害者は女性です……」などと妙な言葉を散りばめてありました。そして、彼・彼女らの勝手な定義による「ジェンダーフリー」の中心人物である私を名指しで誹謗中傷しました。

 ここで、彼・彼女らが勝手な定義づけをしている「ジェンダーフリー」という用語について私の考えを述べます。

 男女の差異には、「生物学的性=セックス」による差と、「社会的文化的につくられた性=ジェンダー」による差があります。前者は、生物学的な性=セックスにもとづく差異です。後者は、男女にふさわしいとされる行動や態度です。例えば、「男は外、女は家」という性別による役割規範や、「男らしさ」「女らしさ」という典型化された男女の特性による行動規範です。重要なことはこのジェンダーによる差は、男性優位の社会秩序をつくり出し、補強し、維持してきた点です。性差別の原因は、セックスの差にあるというより、ジェンダーによる差にあります。それゆえ、ジェンダーに敏感な視点で、あらゆる分野において差別の見直しがされ始めたのです。

 日本では、90年代後半から主として行政において、このジェンダーにとらわれないことを「ジェンダーフリー」と呼ぶようになり、性による呪縛からの自由といった意味合いで使われるようになりました。「ジェンダーフリー」を日本で使い始めたといわれる東京女性財団の意図や問題点、その後の経緯については山口智美さんの論文「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源」を参照してください(『くらしと教育をつなぐWe』2004年11月号、2005年1月号)。

 私はこの言葉をこれまで使ったことがありません。この言葉が出てきた頃、フェミニストのメーリング・リストなどで誤解を招くから使わないほうがいいのではと提案した記憶があります。

 ジェンダーは「性」であり、性差別を意味しません。英語でジェンダーフリーという場合のフリーは、「〜からの自由」ではなく「〜がない」にあたります。ですから「ジェンダー(性)がない」と取られ、ジェンダーによる差別に着目しない、という意味になってしまいます。これでは、積極的差別是正策などを実行しにくいのです。

 この言葉の持つあいまいさにつけ込んで、この言葉を男女平等攻撃の道具として使ったのが、男女平等を忌み嫌う勢力です。この勢力は、まず、ジェンダーをセックスとあえて混同します。その上で、「ジェンダーフリーとは性差の撤廃をすることで、学校などでトイレ、更衣室を男女で同じくする動きだ」とのデマをふれ回ります。そして、ジェンダーフリーを主張する側を、性差の完全撤廃をめざし社会制度を破壊する連中、などと敵視するのです。


 さて実は、豊中市で私が体験した話は、全国的巨大保守勢力の反男女平等運動の一断面なのです。

 そもそもこの勢力は、女性差別撤廃条約の真髄である「性別役割分業の解消」に反対です。国の政策課題に男女平等の推進が掲げられたのが我慢ならないのです。男女共同参画社会基本法のもとで、自治体が同法の趣旨を徹底させるような条例も、男女平等社会構築のための拠点施設である『すてっぷ』のような施設の存在も許せないのです。その勢力は主として、議会で「議員の質問」という形をとって攻撃します。社会に厳然と存在する男女不平等や女性蔑視も、「特性」の名のもとに覆い隠そうとします。

 こうした男女平等つぶしの継続的組織的動きは、バックラッシュ(逆流)と呼ばれます。アメリカの女性解放運動への組織的攻撃について著した『Backlash』(スーザン・ファルーディ、1991年)が世界的ベストセラーとなったことから、男女平等の流れに逆らう反動現象をこう呼ぶようになった、というのが定説です。


 豊中市に戻ります。市は、バックラッシュ勢力によって可決が危ういと判断し、2003年3月の条例案上程を延期しました。

 2003年夏になると、窓口に「館長に会いたい」「館長は不在か」などという男性がやってきて受付職員にセクハラまがいの発言までしていきました。また、トイレの色が男女で同じだ、とか、前々から『すてっぷ』に不満だった、などと職員にからんだりすることもありました。

 2003年秋、条例案上程が間近になると、私への個人攻撃はさらに激しくなりました。とくに悪質だったのは、「すてっぷの館長は、講演会で『専業主婦は知能指数が低い人がすることで、専業主婦しかやる能力がないからだ』と言っている」という根も葉もない噂が広まったことです。豊中市にあるモラロジー会館での北川議員の催す集会で、“誰かがみんなの前で言った”というのです。

 その後、『すてっぷ』を所管する市の人権文化部幹部や職員が、この噂を聞いていたことが、耳にはいりました。噂を流していた人物の1人は、市議会副議長でした。

 少々の悪口なら昔から慣れっこです。しかし、市議会の副議長の重責にある人物が、『すてっぷ』館長の誹謗中傷のうわさを流布したとなると、これは聞き捨てなりません。館長としての私の業務に直接の影響が及びますし、『すてっぷ』の存在すら脅かしかねません。私は、副議長に会って質そうと思いました。そのために、まず市役所に行き、副議長から直接言われたという幹部に同席をお願いしました。でも、断られました。しかたなく、私は一人で、指定された時間に副議長室に行きました。私はメモに従って質問をし、副議長から「誰からとは言えない。6月24日の館長出前講座で発言したという噂だ」という発言を聞き出しました。副議長は「その講座には市から誰か行っていたのか」と私に聞きました。私は「事務局長が同席していました」と応えました。


 その講演会の証人と言える『すてっぷ』の事務局長(市の派遣職員)は、私への根も葉もない噂を副議長に、または市の幹部を通じて間接的にでも、否定してくれたものと思っていました。しかし、事務局長はなんら対処せず放置していたことがわかりました。

 市幹部が、「こういうとんでもない噂が流れているが、どうなのか」と、なぜ私に直接聞いてくれなかったのか、私の講演会に同席していた事務局長が、なぜ卑劣な噂を否定してくれなかったのか、不可解でした。


 一方、市議会では、こうした私への誹謗中傷の噂が流されたと同じ時期、3月に上程が見送られた男女共同参画推進条例案が上程され審議されていました。

 条例反対の先鋒である北川議員は、常任委員会で市の条例案への自作の対案を示し、逐条ごとに市の案に反対意見を延々述べました。ところが、奇妙なことが起きました。北川議員は、賛成の起立をしたのです。条例案には反対だが、他の議案と一括採決だからという理由でした。はじめから落としどころを決めた芝居のようでした。その結果、賛成多数で男女共同参画推進条例は無修正で成立し、2003年10月10日公布されます。

 その1月後、私は、『すてっぷ』を所管する市の人権文化部長から「理事会で審議されることだが、トップの意向で組織変更をする案が出ている」というような説明を受けます。そして、2004年2月1日、市は臨時に『すてっぷ』理事会を開き、「組織強化」と称する改革案を提案し、通しました。中身は「非常勤館長を廃止し、館長は事務局長兼務の常勤職とする」ものでした。新館長は公募とせず、理事長の任命する採用選考委員会で選考することも決まりました。

 その頃の私は、自分が危機的状況にあるということはわかっていましたが、あえて採用試験を受けたいと申し入れました。それしか残された道がなかったからです。私の発言を支持する理事がおり、私にも採用試験を受ける機会は与えられました。


 当時の私は、多くの事業を予定どおり遂行しなければならない中、市が出してくる不確かな情報に翻弄されっぱなしでした。それから来る疲労感、首を切られるかもしれないという恐怖心、部下の事務局長(市の派遣職員)から嘘をつかれてきたことの屈辱感から、眠れない夜をすごしました。しかし、まだ絶望するのは早い。理事の良心に賭けよう。こう思って2004年2月22日の面接試験に臨みました。

 ところが、後でわかったことですが、市は条例成立直後から極秘に後任館長の人選を進め、候補者リストを作成し、一人ひとり打診をしては次々に断られていました。そして、私が受けた試験の2ヶ月ほど前に、一人受諾する人が現れ、市当局はその人を次期館長に決めていました。採用試験は茶番劇だったのです。

 面接試験の3日後、茶封筒が事務局長から手渡されました。トイレに行ってそっと封を開きました。「不合格」の文字がありました。こうして私は、『すてっぷ』から排斥されました。

 『すてっぷ』の組織変更の本当の目的は、私を排除するためだったのです。つまり市は、どうしても通したかった条例案に賛成をしてもらう代わりに、私の首を差し出したのではないか、議会のバックラッシュ勢力と取引したのではないか、と私は考えています。


 もう一つ問題がありました。『すてっぷ』就業規則によれば、館長を含む嘱託職員は、よほどの失態がない限り何回でも更新が可能です。館長は定年がなく、他は定年を60歳としています。ところが、市は、03年夏、館長を除く嘱託職員の就業規則を「更新回数の上限を4回とする」に改悪する案を出してきました。嘱託職員は全員女性であり、これは女性差別です。市は、この雇止め案を強行すれば反対することが明らかな私を排除したかったのです。私は館長であるものの非常勤職員として雇われており、これは私自分自身の問題でもありました。

 豊中市は非常勤館長廃止と常勤館長採用拒否をセットにする手口で、私を“解雇”したのです。女性の地位向上政策を遂行するべき豊中市が、バックラッシュ勢力に屈し、かつ非正規職員の雇止めを強行するために、非常勤職の女性を使い捨てたのです。

 こんな不当な仕打ちを黙っていることはできません。

 弁護団や友人たちの支援を得て、2004年12月、大阪地裁に豊中市と財団を提訴しました。

 これは女性差別、非常勤職差別と闘う裁判です。

 バックラッシュに反撃するための裁判でもあります。

 ホームページhttp://fightback.fem.jp で情報を流しています。

 関心を持っていただけるとうれしいです。

(豊中市男女共同参画推進センター「すてっぷ」初代館長)


出典:『あごら』305号 ジェンダーバシング(発行BOC出版部 発行日2006年3月20日)

本誌の注文は
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