まだまだ遠い「市民に開かれた司法」

館長雇止め・バックラッシュ裁判原告
三 井 マリ子


「ふれあいらんど」2006年7月1日号

大阪府豊中市には、「すてっぷ」という名の男女共同参画を進めるセンターがあります。私はそこの初代館長だったのですが、極めて理不尽なやり方で、そのポストから排除されました。

 豊中市は、私が泣き寝入りするだろうと、踏んでいたのかもしれません。しかし、私は大阪地裁に提訴しました。2004年12月のことでした。

 私は館長の全国公募に応募した大勢の中から選ばれました。非常勤でした。豊中市は、その非常勤館長ポストを廃止することで、契約更新の道を絶ちました。そして、突如常勤館長職を新設して、私とは別の人物を採用したのです。

 私の主張は「雇止め、(常勤館長としての)採用拒否は何ら合理的理由がない。憲法13条、14条、女性差別撤廃条約、男女共同参画社会基本法、豊中市男女共同参画推進条例の基本理念、目的、財団の設置目的に違反して無効であり、不法行為を構成する」というものです。

 この審判の行方はまだ分かりません。しかし、1年半がすぎて、法の世界に疎かった私にも、日本の裁判のおかしな点が見えてきました。

 2006年2月17日、原告の支援グループは裁判所に対して、証人調べは大法廷でお願いしたいという要望書を提出しました。傍聴を希望する209名の署名簿つきでした。それまでは小法廷だったためにいつも満席でした。原告側と被告側の丁々発止もない数分間の法廷にもかかわらず、私を支援してくださる人々が大勢駆けつけてくださいました。それが、初めての証人尋問となると、さらに傍聴が増えることが確実だったからです。

 しかし認められませんでした。今度は法廷で原告側弁護団が申し入れをしました。でも、やはり認められませんでした。「不許可の理由は何ですか」「裁判所における大法廷の使用基準を明らかにしてほしい」と尋ねましたが、裁判長は「この事件は809号(小法廷)で行います」と言うだけ。ほかに何の説明もありませんでした。

そして4月17日。初の証人尋問の日、大阪地裁809号法廷前の廊下には100名を超える傍聴希望者が集まってしまい、約60名は法廷に入れませんでした。裁判長は、入廷するや、「下で傍聴券を配布するので協力を」といって退廷してしまいました。ところが既に傍聴席に座っている人は、原告側・被告側とも誰一人立とうとしません。廊下からは「大法廷は空いてます」「遠くから来たんです、傍聴させて!」という声が聞こえます。いたずらに時間が過ぎていきます。結局、その日は閉廷となりました。

 4月17日、傍聴するために、ある人は有給休暇をとって夜行バスでやってきました。小さな子どもを人に預けて新幹線でやってきた人もいました。裁判は公開が原則です。憲法32条にも書かれています。事件の社会的重要性や社会的関心の高さから多数が傍聴を希望する場合には、裁判所は可能な限り傍聴希望者に配慮するべきだと私は思います。

 その後、裁判長と原告弁護団との話し合いがあって、私が証人尋問を受ける日だけは大法廷になりました。

 大法廷が空いているのだから、そこを使わせてほしい、というごく当たり前の市民感覚は、裁判所には通用しないということが、今回よくわかりました。「市民に開かれた司法」への道はまだまだ遠い。


(出典:NPO法人コミュニティ、エンパワメント東大阪 季刊誌「ふれあいらんど」2006年7月1日号)


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