三井マリ子さん館長雇止め裁判報告会

2008・4・13 @つながれっとNAGOYA

『ワーキング・ウーマン』


 三井さんご本人を迎えて、約40名が集まり、活気のある集会になりました。
はじめ、大脇弁護士からの応援メッセージ、ワーキング・ウーマン、ファイトバックの会の紹介のあと、三井さんの報告です。かなり長いですが、中身は濃厚。必読!

はじめに

 こんにちは三井です。花見頃の日曜日、足を運んでいただきありがとうございました。またこの場を設定していただいたWWの方、特に岡田夫佐子さんと吉川冨士子さんに感謝します。
私は2004年3月31日、豊中市の建てた女性センター館長をクビにされました。なんで突然クビなんだろうと10ヶ月ほどかけて調べました。いろいろわかったため、2004年12月、大阪地裁に提訴しました。しかし、3年後の2007年9月、全面敗訴しました。無念でした。認められない判決だったため控訴し、今その最中です。控訴審の法廷で読んだ意見陳述を再現します。お聞きください。

意見陳述書  (部分)
『豊中市や財団は、うそにうそを重ねて私の人生を翻弄しました。私はその人間としての不誠実さに直面して苦しみました。体中に湿疹ができ、眠れない夜が続きました。そして職を失い、収入がなくなりました。一審判決はその苦しみを癒すどころか倍増させるものでした。この私の苦しみは、日本社会において軽んじられてきたおびただしい数の働く女たちの苦しみであり、大勢の非常勤職の人たちの苦しみでもあります。』『 女性の人権擁護と男女平等の推進を市民の先頭に立って担うべき豊中市が、女性の人権擁護と男女平等施策を誠実に実行してきた女性センター館長を、うそまみれの陰湿な手法で排除したのです。使い捨てたのです。そのことで、私は、精神的にも経済的にも、計り知れない打撃を受けました。だのになぜ、それが違法にならないのでしょうか?
最後に申し上げます。週2、3日出勤の館長職では運営上問題があるなどと理由をこじつけて、市は非常勤館長の私を排除しました。しかし、私の後任の常勤館長は「組織強化になっていない」と法廷で証言し、2007年3月31日付けで辞職しました。こうしてすてっぷは、常勤館長の休職期間を入れると館長職不在のまま1年以上がすぎました。まさに、バックラッシュ勢力の狙い通りのことが、すてっぷで起きているのです。この一事をもってしても、豊中市のいう組織強化なるものは、私を排除するための単なる方便だったといえると思います。控訴審の公正なる審判を切に願い、意見陳述を終えます。』

 何が問題か多少は見えるでしょうか。豊中市が嘘に嘘をついているため、裁判の内容がわかりにくくなっていますので、できるだけわかりやすくお話しようと思います。


館長になる

 2000年春、インターネットとFAXで、豊中市が新しく建てた女性センターの館長を全国公募していると知りました。当時私は法政大学で教えたり、執筆や講演活動をしていました。女性センターの初代館長という、何か新しいことへの挑戦がおもしろそうだと思ったのです。それで書類を整えて応募しました。この応募書類を整えたということが裁判で重要になっています。私が応募した館長は非常勤でしたが、論文、エントリーシート、履歴書と3種類出し、その書類審査で絞られた10人に面接試験があったのです。後でお話ししますが、次期館長は面接だけでした。

 なぜ応募したかを説明します。私は都立高校で英語の教員をする傍ら、女性運動を続けていました。1975年国連の国際女性年をきっかけに行動を起こす会ができましたが、それに20代で参加して以来、ずっと、です。市川房枝さん、樋口恵子さん、吉武輝子さん、俵萌子さんとかそうそうたる大先輩がいらして、私は使い走りという感じだったと思います。30代で、当時の社会党から強烈に請われて、東京都議会議員に立候補し当選しました。議員になって、東京ウイメンズプラザという女性の拠点を造る総務生活常任委員会に、女性は私一人しかいないということを認識しました。しかも男性議員は、そういった分野にほとんど関心がない。そんな経験から、男女平等を実現するために、何をしなければいけないかを私は強く認識するようになりました。

 さて、「すてっぷ」と呼ばれる豊中市の女性センターは、豊中市が50億円以上かけて造りました。この“箱もの”に魂を入れる仕事をしたいと思ったのです。多少の予算と情熱のあるスタッフがいれば、相当のことができると思ったのです。

 私は週22・5時間の非常勤館長だったことも強調しなければなりません。この非常勤職の理不尽さは辞めさせられて始めてわかりました。これほどまでに常勤と非常勤の格差があるとは思っていませんでした。21人のスタッフがいましたが、市から派遣された職員(公務員)数人を除くと、非常勤職がほとんどで、全員女性でした。事業の中核はこの女性たちが担っていました。利用者は、すてっぷに働くスタッフをこの人は常勤、あの人は非常勤などと区別はしませんし、仕事はほぼ同じです。非常勤とはいえ、常勤職と遜色のない経歴の持ち主が多く、熱意と使命感にあふれていました。しかし、報酬は3分の1とか4分の1です。「給料は安いけれど、達成感のある仕事につけて幸せだ」と言っていたスタッフがいました。

 私が本当に許せないのは、豊中市は、「男女差別に怒り、その是正のために働けるという意義深い職業についている」と思って働いている、こうした女たちの熱意と使命感を安く買い叩いているということです。私の場合は、市は、ぞうきんのように私を使い捨てたということです。


なぜ辞めさせられたのか

 2004年2月1日、豊中市は臨時理事会を開き、「すてっぷ」の職員を充実させ組織を強化するという案を出しました。理事会は、すてっぷに限りませんが、多忙な学識経験者が理事についているということもあり、だいたいは事後承諾機関となっています。組織強化案の議題だけ1枚、1週間前に郵送されても、その具体的中身(館長を常勤化するという名の下、三井を排除する)を、理事が読みとることは難しかったと思われます。しかも、理事長が司会をし、組織体制強化案と人事案は別物だとし、別々に審議したのです。さらに、人事は理事長の決めることだからと、議案審議決定というプロセスをとりませんでした。その結果、まず組織強化案が決定されました。その後、次期ポストは常勤館長兼事務局長とする、就く人は採用選考委員会で決める、その委員の人選は理事長一任というものでした。

 私に残された道は、黙ってそのまま引き下がるか、採用選考試験を受けるかです。そこで私は、理事会で、試験を受けさせてほしいとお願いしました。悔しく辛かったです。

 その頃には私は首にされそうだと、うすうすわかっていましたが、採用選考委員の一縷の良心に望みを託したのです。2月22日が採用試験でした。試験は、初代館長の時と違い、書類がなく、証拠の残らない面接だけでした。その後、不合格通知を受け取りました。不合格の理由は、男女共同参画に対する認識が低く、またリーダーシップが欠如していると言いました。

ところが、この2004年2月22日の採用選考試験はまったくの茶番だったのです。豊中市は、前年秋頃から極秘に後任館長の候補者リストを作成し、次々にあたっていたのです。12月中旬には寝屋川市の非常勤の女性に決まっていたのです。その次期館長に懇請していた同じ頃、私には「万が一常勤になったら、第一義的には三井さんです」などとだまし、その一方で、「三井は最初から3年で辞めると言っていた」「三井は常勤は無理だと言っていた」などという嘘を言っていたのです。

 それまで私を評価しこそすれ、批判などしてこなかった豊中市が、なぜここまで嘘をついて、追い出しにかかったのか。裁判を起こした理由の一つがここにあります。


バックラッシュ

 それがバックラッシュです。年表(別紙)を見てください。2003年3月、豊中市は市長の公約だった、男女共同参画推進条例案を上程することを断念してます。行政にとって条例案を断念するということは大変なことです。なぜ断念したか。「バックラッシュ勢力の力が大きかった」と、担当の部長がはっきり言っています。市長与党の新政とよなかという会派に、強固なバックラッシュ派の議員がいたのです。市は、半年後の9月にこの条例を上程することを約束し、実際、上程し可決しています。では、半年間で、バックラッシュ派が男女平等推進派に変わったのか。そんなことはありえません。そこに何らかの取引をがあった、つまり私の辞めさせられた理由があると思っているのです。

 この年表でわかるように、日本中津々浦々にバックラッシュ勢力――男女平等推進を心よく思わない人たちの攻撃――があります。日本を覆い尽くす勢いです。2008年1月、つくば未来市のDVの講演会が自称「市民」の抗議により中止に追い込まれています。松山市では、女性センターにおいてジェンダーとかジェンダーフリーと表現された図書が、2003年から排除されていたことが最近わかりました。豊中市では、2002年秋頃から私や「すてっぷ」に対して、こうした攻撃が目立つようになりました。市民だけなら、こうした攻撃に対して行政はただちに動きませんが、行政が敏感に、時には先取りしてまで対応するのは、その攻撃勢力に議員がいるからなんです。


辞めさせられた本当の理由

 豊中市のその議員たちは、「新政とよなか」という市長与党第2党の会派(民主党系)に属していました。つまり、市長は男女共同参画推進条例が公約だったものの、その市長与党第2党には断固反対議員がおり会派としても反対に傾いている、という構図だったのです。そのため、「3月予定の条例案上程の断念」という事態が起きたわけです。

 半年後の9月に上程を約束した行政にとって、再びややこしい事態になることは、絶対回避したい。そのためには、入念に議員折衝が行われたはずです。最も神経を使ったのは、「条例案を断固阻止する」と公言していたK議員をかかえる与党会派との“すりあわせ”だったでしょう。行政は条例を通したい。議会にはこの条例は絶対通させないという議員がいる。その会派が反対に回ると条例は通らない。そういう場合、取引が行われることが一般的です。政治の世界では常識です。この場合、条例案を通す代わりに、私を辞めさせることが決まったのだと思うのです。現に、9月議会で、バックラッシュ派のK議員は、市の条例案に逐条ごとに反対する書面まで配布して反論したですが、最後にはなんと賛成起立に回りました。

 バックラッシュについて大沢真理東大教授が、「これは偶発的におこっているのではなく、どこかに司令塔がある」と言っていました。 その司令塔は「日本会議」、「新しい歴史教科書を作る会」などだと思われます。豊中市のK議員は、それら司令塔と密接な関係を持つ「教育再生地方議員百人と市民の会」という組織の代表だったのです。

 バックラッシュ派の議員とその支援者たちは、執拗に攻撃をしかけてきました。嘘をでっちあげたり、事実を歪曲したりして、それをデマ、チラシで広めました。たとえば、「三井館長は、主婦はIQが低いから専業主婦しかできないと言った」というとんでもない嘘を、“うわさ”と称して、議員が垂れ流して歩くわけです。また、土曜の夜の市役所(閉庁日で誰もいない)に私や担当を呼び出して、3時間にわたって、「三井を館長にしている市の態度を問題しているのだ」などと糾弾したりもしました。行政は、こうした悪辣な行為に立ち向かうどころか、自分たちに火の粉がふりかからないようにするだけでした。結果として、政治的圧力に屈した市が、女性センターから館長を追放することになったのです。


非常勤ということ

 提訴理由のもうひとつは、冒頭に申し上げてますが、非常勤だからと使い捨てられてたまるか、ということです。つまり、こんなふうに辞めさせられたのは私が非常勤だったからです。日本社会では、非正規で働く人たちは、契約期間が来たら雇い主の都合でやめさせてもかまわないというとんでもないことがまかり通っています。しかし、だからといって、いやしくも豊中市人権文化部が右習いしていいわけはない。そこで手の込んだ辞めさせ方を画策したのです。組織体制強化案はカムフラージュなのです。実際は非常勤だからと簡単にクビを切った。使うだけ使って、使い捨てにしたのです。

 WWは男女同一価値労働同一賃金を今年の目標にしておられるようですが、ノルウエーなどの場合、非常勤でも、賃金、休日や研修機会などすべての労働条件が常勤職と均等待遇です。非正規といわれる労働者は、日本に1500万人から2000万人もいるそうです。ほとんどが悪条件で働かせられているのですが、最もひどいのは、不本意な形で辞めさせられることが多いということです。今回、裁判をしたことで、このひどさを身をもって知りました。この裁判が非常勤問題の解決に一石を投じることになればと思っています。最後まで聞いていただきありがとうございました。

【質疑応答】

: 陳述書の中に、新しい館長が常勤化されたが、組織強化になっていないということがありましたが、それはどういう意味ですか?
: 豊中市と直接の雇用主である男女共同参画推進財団は、私を辞めさせたのは組織を強化するためであり、非常勤館長では運営上支障があるから常勤館長にしたかったからといっているんですね。私の後任館長となった女性は、2004年4月から働きました。その間、裁判の証人となったのですが、「私は、組織強化になっているとは思えない」と法廷で証言したのです。彼女は豊中市に騙されていたということがわかってきたこともあり、その後、自主退職をしました。その方が辞めた後、1年間館長不在のまま過ぎて、この4月から新しい館長が決まりました。メンズリブの中村彰さんという男性です。彼はこの裁判を支援する会の呼びかけ人に名を連ねています。

: そもそもなぜ館長という重要なポストが非常勤でスタートしたのかわからない。また市民団体の怒りをかった文章とありましたが、なぜ怒りをかったのか。また国が進めている方針をバックラッシュがなぜ邪魔をするのかこと自体がわからない。国の方針なのに、行政や議員が邪魔をする、日本は二枚舌を使う国だなと思いました。
: なぜ女性センター事務局のトップを非常勤にしたのか。裁判の争点のひとつです。男女共同参画推進事業は一朝一夕にできるものではないですよね。継続的に長期的にしなければならない重要な職務ですから、常勤であるべきです。しかし日本の現状はどうでしょうか。実際には非常勤の例が非常に多い。なぜなら安上がりだからなんです。
 日本政府が1977年に性役割分業を撤廃することが重要であると言ってから30年以上もたっているにも関わらず、国も地方もこのざまです。この点について水田珠枝さんに補足していただけたらと思います。
 2点目の「市民団体の怒りを買った文章」についてですが、2002年夏ごろから、右翼といってもいい人たちが市民を装って、難癖つけるために、すてっぷの窓口にしょっちゅう来ていました。受付で働く人はとても大変で、彼らの言動を記録しておいたのです。それを、固有名詞を匿名にして、年表風にまとめ、関係者に配布しました。向こうが組織的にやってくるので、こちらも対策を考える必要にせまられたからです。この内部文書を、なぜか、ある市議が一年後に問題にし始めたのです。「匿名であがっているのは自分たちのことだ、人権侵害だ」という自称“市民団体”を同伴し、その議員は、土曜日の夜の7時から3時間、私をつるし上げる材料に使ったのです。
  3番目の件について水田さんお願いします。
水田さん: 政治に参画している人の中には、男女平等に賛成な人も反対、危機感を持つ人もいます。だからこそ私たちは運動を続けて行かなければならないのです。去年の参院戦で野党が勢力をもちました。その結果、あちこちでほころびもみえてきました。
 お話を聞いていて、私も若いころいろいろな組織と直接交渉したこともありましたが、今まだこんなことをやっているのか、という気持ちです。もう勝負はついている。理論的にも現実的にも進んでいるんですね。家族が大事だ大事だと言っていますが、今や世帯の半数以上が単身家族なのです。全く世論になっていないことを蒸し返しているのが、バックラッシュ勢力です。ただ東海地方は少し鈍感なんです。今、私は東海ジェンダー研究所をやっていますか、あまり攻撃を受けていません。でもいずれそういうことにもなるかとも思いますので、危機感は持っていなければと思います。
意見: こんな厳しい状況を知らなかったので、驚きました。これから気をつけなければと思います。

: バックラッシュ勢力の戦略のようなものはありますか。
: 戦略かどうかわかりませんが、嘘でたらめが平気ですね。それをS新聞とかその系列雑誌が書き立てますね。また、バックラッシュ系の議員は、司令が出ているのでしょうが、各議会で、自分たちが攻撃しやすい委員会に所属を変えています。K議員は、はじめ、教科書問題、君が代・日の丸の強制といった教育問題が攻撃の的だったので、文教委員会に属していました。それが一段落すると、総務常任委員会に変わりました。男女共同参画推進の施策を審議する委員会だからです。行政幹部は、議員からの質問にまずい回答をしたり、回答できないことを何より恐れています。ですから、議員質問を予想し回答を用意します。この想定問答集作成に、ものすごい時間をかけます。その過程で、議員への遠慮がふくらんでくるわけです。さらに、声高に叫ぶ議員には極端に配慮する傾向があります。バックラッシュ系の議員がいれば、「先生のご意向をそこねないように」と、男女共同参画推進条例案を出さなかったり、その質を落としたりというようなことがおきます。議会の問題なので、マスコミも報道する。これがまた、議員の名前を広く知らせることになり、議員にはポイントになるわけです。

: 私も非常勤職をやってきましたので、悔しい思いは一緒ですし、三井さんでさえあんなに悔しいんだなと思い慰められました。指定管理者制度の問題にも重なると思います。今のバックラッシュは理論ではなく、情緒的な感じに暴力が加わっているように感じるのですが、そうすると理論がかみ合わないと思うのですが、どう対応しますか?
: その通りです。議論できる相手じゃないですね。私の弁護団の紀藤正樹弁護士が言っていました。「バックラッシュの言い分に共感するのは、世間では10分の1くらい。しかし、議員の中には3分の1から4分の1くらいはいる」と。さきほど水田さんもおっしゃってましたが、男女平等推進の是非など理論的にはもう終わっている話です。こういう問題に感度の鋭い女性議員を、いや男性でも、増やすしかないんです。また彼・彼女らは、特定の政治活動組織とつながっていて、その人たちは違法すれすれのことを徹底的にやるんです。そこに怖さがあります。

: 今までそんな抵抗勢力があるとは知らなかった。こういう闘いは今後もどろどろと、いたちごっこのように続くと思いますが、気概のようなものはお持ちですか?
: 正直、裁判なんかしなければよかったと思うときもあります。でも、もし私が裁判をしなかったらどうだったでしょう。こうした行政の闇を知らずに済ますことになる。バックラッシュに屈した行政は、女は男の後ろにいて、丈夫な子どもだけ産んでいればいい(ナチと同じですね)と言う考えを容認したことになるのですが、そうした行政を私が黙認したことになる。それは私の生き方を否定することです。さらに、この裁判を起こしたことによって、全国から非常勤であることによる不合理さや悔しさがたくさん寄せられました。そういった切実な声を聞くことができただけでも、提訴してよかったと思います。自分の問題であると同時に、大勢の非常勤職の方々の問題でもあるのです。辛いときはありますが、人間にはやらなければならないことがあるのです。

: 2点あります。1点目はK議員は、結局条例には賛成したということですが、本人は自分の信条と矛盾する条例が通るということに対して、どう考えているのか。2点目は、「有期雇用は契約を更新されなければ雇止めとなるが、更新が反復継続されれば、期間の定めのない雇用と見なされ、安易に解雇できないという判例が適用されるべきだ」、との考えで闘っておられるのですか?
: K議員は最後の最後まで、委員会のみならず、議会の本会議でも会派を代表して反対意見を述べていました。妙なのですが、賛成意見だと断って延々と反対していたのです。また松山市の条例のように、すぐ改正してほしいというようなことを述べたてていました。
2点目は実際難しいです。今、考えているのは私の雇用期間を試用期間として考えようというものです。それまで評価されこそすれ何も批判などされてなかったわけですから、よほどの理由がない限り不合格にはできないという論法を使えないか、と弁護団は考えています。
もう一つは非常勤とはいえ、こんなにひどい嘘偽りで辞めさせるのはいくらなんでもということです。今回の判決でも豊中市側の5つの嘘は認めています。山梨県昭和町で、ひどい噂を流されて辞めさせられた非常勤職の女性2人が人格権侵害であると訴え、最高裁で勝っていることが力になっています。

: こんな公的な場でそんなレベルの低いことが起きているなんて信じられません。人権侵害が行なわれているなんて、本当に許せないと思います。ほんとうにむかつきます。
: 役所を過信しないでください。目を離さず、見続けることが大切です。
: 女性ユニオン名古屋の坂です。三井さんがこの裁判に勝利すれば、私たち非正規労働者に大きな力となると思います。10日に院内集会で、国会議員7名と会い、実態を訴えてきましたが、国会の場に情報を持っていくということが大切だと感じています。国会議員の方は実態を知らないです。何が問題かを、こちらから届けていくことが大切だなと感じています。5月は改正パート法について、私は29年銀行でパートしてやってきたことを話します。6月は公務パートの実態を働く女性の全国センターで訴えようと思っています。もしよければ三井さんの問題を取り上げてもらおうかと思っています。  小泉政権のときからバックラッシュは起こっていますね。私達に今必要なのは、情報を共有し、いろいろな運動体が連帯をして運動していくことではないでしょうか。今はねじれ現象もあり、チャンスかもしれないですね。

: 私たちは、こうした集会で、情報を共有してますが、一般の人にもバックラッシュのような動きがあることを警告していくような方法はありますか。
: 私たちにはお金も時間も限られていますが、今日のことをプログや投書で広く世間に出していくということが、もっとも有効な手段だと思います。何しろこういう実態を知らせなくてはいけません。

: バックラッシュの動きを見てると、戦争に向けて進む戦前のようになっているようにおもいます。中曽根首相で所得の格差が進み、小泉さんのときにさらに加速しました。後期高齢者の医療問題も性教育に対してのバックラッシュもみなからみあっています。国政だけでなく市会・県議会の選挙にもきちんとした人をえらぶことが必要です。
水田: 水田です。正当な意見がなぜ、多数にならないのかということは、政治学では大きな問題です。一つは、権力は腐敗するということです。権力を持ったものは自分の利益を手放したくないので、自分が正しいと言い張るんです。これはどんな人がなっても同じです。これに対抗するには、人々がいつも権力を監視する。そして、ここがおかしいと言い張らなければ必ず権力は腐敗します。 そしてもう一つは、こんな議論は先進国では終わっている話ですが、先進国の中で、まだ遅れた家父長制を保っている国家は日本とドイツとインドとスペインの4カ国だと言われています。保守主義が勢力を保つためにしていることは、合理的な理論を排除することなのです。それに対抗するには、日常的に物事を合理的に話し合うということを進める、とくに教育の現場で、合理的に話し合って、意見の同意が得られるか、違うならどこが違うかを話し合うことを習慣化していくことが必要です。日本がまだこんな保守的な思想に支配されているのは、日本の教育が合理的な思想をきちんと教育してこなかったからだと思います。保守勢力に対抗して行くには、日常的にも合理的な考え方、合理性を貫いていく姿勢を持ち続ける必要があるのではないかと私は思っています。 (拍手多数)

司会: 最後にすばらしい意見をいただきました。また多くの活発な質疑応答、意見交換ができ、裁判の意義が改めて確認できました。ありがとうございました。


出典:『ワーキング・ウーマン:男女差別をなくす愛知連絡会』
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