怒りをこめて控訴!

三井マリ子 
館長雇止め・バックラッシュ裁判原告



 9月12日、大阪地裁から判決が下されました。裁判長は、雇用継続を拒否した豊中市らに損害賠償を求めていた私の訴えを全面棄却しました。

 「10発殴られたら法律でなんとかするけど、5,6発だろう、我慢しろ」と言っているような内容でした。私は、怒りをこめて大阪高裁に控訴しました。

 2000年、私は全国公募で豊中市の男女共同参画推進センター館長に就任しました。センターは、「すてっぷ」と呼ばれ、男女平等の社会にするために豊中駅前に豊中市が新設した施設でした。豊中市民の長い間の夢でした。「男女平等の社会をつくることは国の最重要課題」とうたう男女共同参画社会基本法の賜物でもありました。

 私は館長としてスタッフの仕事の下支えをし、事業部門の一員として企画運営に携わりました。私は、「豊中にすてっぷあり」と言われる日がかならずやってくる、その日までがんばろうと一生懸命働きました。こうした仕事は市や財団から評価されこそすれ批判されたことはありませんでした。

 しかし3年後、豊中市は「組織強化」の名の下に、2004年4月からは非常勤館長職をなくして館長ポストを常勤化すると言い出しました。そうなった場合、「第一義的には三井さんです」と言って私を安心させる一方、裏では「三井は辞めると言った」「三井は常勤はできないと言っている」との嘘をふりまき、後任館長を密かに決めていたのです。当時の私にはわからなかったのですが、候補者10人のリストが極秘に作成され、市長にだけこっそり見せて、「これで行け」という市長命令の下、候補者打診が進められ、2004年12月には次期館長が決まっていたのです。

 私が「常勤館長をやる意思がある」と書面で表明したこともあって、市は採用試験をすることにしました。試験は面接だけの茶番劇でした。一縷の望みをかけた私は不合格とされ、2004年3月で豊中市を追われました。実は、その採用試験官に、後任館長探しに狂奔した市の人権文化部長が入っていたのです。

まったくひどい判決ですが、それでも、判決は、次のように豊中市の嘘と不正を認めています。

■(組織体制変更の情報を)「意図的に秘匿したことは明らか」

■(後任館長人事に関して)「原告に情報を開示してなかったことが認められる」

■(後任館長候補「あなたしかいない」と懇請した市の部長が選考委員だったことは)「公正さに疑念を抱かざる事情といわざるをえない」

■「山本事務局長は『自分は、原告を裏切った』と述べるに到った」

 嘘の限りをつくしての首切り事件。その背後には男女平等を進める私やすてっぷを嫌うバックラッシュ勢力の攻撃がありました。膨大な証拠と弁護団による明晰な主張のおかげで、裁判長は嘘・不正のいくつかを認めざるをえませんでした。しかし、その同じ裁判長が首切りは「違法とまでは言えない」と棄却したのです。

 女性の人権擁護と男女平等の政策を担う市の部長(常勤職の公僕)が、女性の人権擁護と男女平等施策を誠実に実行してきた女性センター館長(非常勤の女性)を、嘘まみれの陰湿な手法で排除したのに、それが違法にならないというのです。

 非常勤職の雇止め、豊中市の嘘・不正の背後にあるバックラッシュという2大テーマを扱う訴訟です。難しいテーマですが、闘わなければ解決の糸口すら見えてきません。控訴審に向けて歩み始めました。

 WWNのみなさま、さらなるご支援を心からお願いいたします。

(出典:『WWNニュースレター 49号』2007年10月)
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