組織強化を装った陰湿な首切り


三井 マリ子「館長雇止め・バックラッシュ裁判」原告)
「すてっぷ」初代館長


 3月15日、私は裁判所に提出するための 「陳述書」を書き上げました。
 書いていて何度も息切れがしました。気持ちが萎えそうになると、皆さんの「がんばって」の声が脳裏に響いてきてまた頑張るという、よれよれの数ヶ月でした。でも、おかげで私の身に降りかかったことを順序立てて整理することができました。
 2000年、豊中市は全国公募で私を「すてっぷ」初代館長に選びました。それから約3年後、市は、男女共同参画推進条例案を9月議会に上程します。条例案は、バックラッシュ勢力議員まで賛成に回って、無修正のまま可決されます(彼らの日頃の主義主張からすると賛成はありえない!)。すると次に市は、「すてっぷ」の事業を充実させたいので職員体制を強化したい、と言い出します
『強化』と称するプランの核心は、非常勤館長である私の「すてっぷ」からの排除でした。それまで誠実に仕事をしてきた私は、評価されこそすれ、クレームをつけられたことなど一度もありません。その私に対して、「あなたは組織に不要」と正面切って堂々と通告するならまだしも、実に陰険な方法で首を切りにかかったのです。
 2003年秋には私抜きの館長候補者リストが作成され、市長の指示(部長談)で就任要請が始まりました。周到な隠密行動でした。排除計画を正当化するためでしょう、「三井は当初から3年程度と決まっていた」「三井が常勤は無理だと言った」「三井は立ち上げ時の看板だった」「職員体制強化は2004年でなければ予算のめどがつかない」「(組織変更について)会議で話し合ってはいないが職員には個別に話してきた」……といった作り話が流布されたり裁判で出てきたりしました。
 2004年2月、市は臨時にすてっぷの理事会を開いて組織変更案を通します。次期館長の決め方も話合われます。原則公募だ、いや公募なしの選考だ、いや組合からは公募の要請がある……。でも、これは茶番劇。前年12月にはすでに、寝屋川市で働いていた桂さんを館長に据えることを決めていたのです。理事会もなめられたものです。
 こんな汚いやり方で使い捨てにされて泣き寝入りするわけにはいきません。ということで、市を提訴。10月30日は私が証人として出廷する日。場所は大法廷です。傍聴席からの応援をお待ちしています。


出典は「ファイトバック!」第2号 (ファイトバックの会、2006年6月10日発行) 

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