陳述書

2007年10月29日
福間 公子

 私は、2000年5月、豊中市の男女共同参画推進センターすてっぷの館長の全国公募に応募した一人です。
 残念ながらその選には漏れたものの、館長に選考されたのが三井マリ子さんと知り、それまでの三井さんの活動から、よい方に決まったと蔭ながら喜んでおりました。
 以後、すてっぷの事業には関心を寄せて参りました。力量と豊富な人脈を活かした事業展開は、なかなか他の女性センターではできないことと感服しておりました。直接・間接的情報から、三井館長の下のすてっぷでの事業は、男女共同参画社会の実現に向けての的確な活動であったと思います。
 その三井さんが2004年3月雇止めとなりました。雇止めとなった経緯や理由に納得できないとして提訴したこの裁判(一審)を、私はほとんど毎回傍聴して参りました。法廷でのやりとりを見聞きしてきた者にとりましては、2007年9月12日の判決内容は一瞬耳を疑うものでありました。
 法廷では、某市議会議員の恫喝的な態度があったこと、本人に続投の意志を一度も正式に尋ねないまま秘密裡に新館長を決め実質的に内定していること、三井さんの常勤館長への就任の意志を受けて行なった選考が実質的には結論ありきのものであったこと、また、2003年8月に山本さんとの会話がどのような世間話の中で語られたかなどが明らかになったと思います。しかし、判決ではこの時の会話は、三井さんが「常勤は無理」と言ったと、その後の一連の動きを正当化したい被告の主張が取り上げられています。一方で、斉藤助役との「少なくとも4年はがんばってほしい」という会話は、雑談の中であることや決定の職責に無いことをもって否定的に扱われているのに、です(判決文P63)。
 そして「本件雇用契約は、雇用期間の定めのある契約であり、特段の事情のない限り、雇用期間の満了をもって終了すべき契約である」(判決文P74、まとめ)としています。
 しかし館長の仕事は、常勤・非常勤にかかわらず、継続的な業務であり、「特段の事情がない限り」、雇用期間は更新されていいのではないのでしょうか。組織変更がある場合は、実質的な継続に繋がる方策を考えるべきではないでしょうか。どうして、業績を挙げている三井さんが雇止めされなければならないかの理由が見つかりません。
 組織のトップである館長ポストでさえ、形の上での一年契約であることをもって、このような雇止めが許されるなら、2000万人とも言われる有期雇用の下で働いている(その多くが女性)非正規雇用労働者の労働権・生存権はどうなるのでしょう。有期雇用者はそんなにも雇用主に生殺与奪の権を握られていいものかと怒りが止まりません。
 すてっぷの館長は、「『(仮称)豊中市女性センター』の基本構想について」の提言にあるように、「女性センター全体のあり方に特に大きい影響力を及ぼす点を考慮して、広くジェンダー問題に見識の高い人材」として選定されたのです(「原告最終準備書面」p13)。「女性と男性の構造的な関係、すなわち文化の改革、ひいては社会システムの改革なくしては実現できない」と表されておるように、決して短期的に実現できるものではありません(同上)。少なくとも全国公募の館長に応募した際、私は、基本構想に明記されているように館長職を理解しておりました。
 被告は三井さんを「立ち上げ時の看板」と証言しましたが、全国公募をしたこと自体「立ち上げ時の看板」などではなかったはずです。豊中市の呼びかけに応じて応募した60人の応募者は皆、立ち上げ時だけでなく、センターの設置目的に近づくため全力投球するつもりであったと思います。
 館長の交代は、事業の継続と目的の達成に向かって事務引継ぎをきちんとし、職員や利用者に支障のないようにするもののはずです。今回の三井さんの雇止めと新館長への交替は、どのように職員や利用者、多くの市民に伝えられたのでしょうか。全国公募で迎えた初代館長が市民の知らない間に消えていた、これだけ見ても、雇止めの理由とされている組織強化とはとても思えません。豊中市民のためになったとは誰も思えないのではないでしょうか。
 新たに就任した館長桂容子さんは法廷で「組織強化になったとは思えない」と証言し、三顧の礼で迎えられたにもかかわらず、今年3月を持って辞任されました。このことは、組織強化の名のもとに、不透明な三井排除の動きがあったことを窺わせます。

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