陳述書

2007年12月14日
木村 民子

 私は、控訴人三井マリ子さんとは旧友であり、女性の地位向上をめざす市民運動をともに担ってきた同志でもあります。三井さんの訴えを支持する立場から、以下に陳述いたします。

 私は「女性の視点を区政に生かす」という公約で、1999年に文京区議会議員選挙に初当選し、以来2期8年間、無所属・無党派議員として市民派の姿勢を貫いてまいりました。

 その間、区政を区民の目からチェックする一方、各委員会で女性のさまざまな問題をとりあげ、男女平等施策を数々提案しております。折しも1999年に国会で成立した「男女共同参画社会基本法」により各自治体においても基本計画やジェンダーフリー施策が進められてきました。この追い風に力を得て、区政でDV(女性に対する暴力)防止に対する取り組みや被害者支援について代表質問しました。この1期目ほぼ3年間の活動や委員会でのジェンダー論議については、『議会からジェンダーフリー』(木村民子著、木村民子と明日への一歩を踏み出す会発行、2002年)という本にまとめています。

 この時期、文京区では女性センターから男女平等センターへと名称を変換するという条例改正が行われました。また、市民と勉強会を重ねた結果、議員提案した「男女平等参画推進条例(仮称)案」を提出(否決される)するにあたっては、私が中心となってまとめあげました。

 議会外でも2002年に10周年を迎えた「全国フェミニスト議員連盟」の共同代表に選ばれ、全国各地で女性議員を増やす運動やNGOとして国への要望や抗議文を送るなど、精力的に活動してきました。

 しかし、こうした私自身の活動が一部の人々には目障りとなっていたようです。議会内では、2001年11月12日の基本問題調査委員会で、「男女共同参画について」をテーマに議員同士の議論が始まり、M・F議員、T・F議員、T・S議員など、年齢を問わず男性議員から、私は集中攻撃を浴びました

 彼らから一様に発せられるのは「男は男らしく、女は女らしく」「女性にやさしさがあれば児童虐待も起こらない」という伝統的な固定観念に根ざした言葉でした。「女性は肉体的に弱いから社会において効率が悪いし、戦争では後方支援しかできないという」発言も飛び出しました。さらに「男女には家庭の中でも適正配置というものがあって、男性に子供を産めといってもできない。介護や家事は男性にはできない。」「自分の母親を見ていると不平等だとは思えなくて、男女平等のどこがいいのかなと思う」「親父から男が一生懸命表で働け、女は家庭を守ってがんばれという風に育てられたから、私も男はお勝手に入るものではないという主義だ」というように性別役割分業を肯定する意見が相次ぎました。

 2期目になり、少子化問題特別委員会委員長になった私は、その運営面でも圧力がかかり始め、苦慮しました。幼稚園と保育園を一体化させる施設の創設をめぐって、この委員会ではなく文教委員会で報告してもらうという方針が出ました。それに私が抵抗したため、入り口のところで攻防戦が展開されました。少子化委員会で議論すると、委員の顔ぶれから働く女性の視点や保育行政よりの意見が出るだろうと、議会事務局長が懸念したのです。結局途中から議論の場は、私の意に反して移されてしまいました。また、当時は少子化対策が喫緊の課題となり、この委員会で論じられるべき「男女共同参画」は隅に追いやられ、子育て支援の枠の中という位置づけに貶められてしまいました。

 バックラッシュに拍車を掛けたのは、国会での山谷えり子議員などによる「ジェンダーフリー」用語の規制に関する発言です。内閣府が(あいまいな)見解を示すと、2003年4月東京都はすぐさま各区・市に通達を出し、文京区もそれまで自負していた「男女平等推進計画」の改定を余儀なくされました。この改定で、それまで明記されていた「ジェンダーフリー」の用語は抹殺されてしまったのです。ただ、文京区は女性議員数も多く、担当課職員も、「男女平等参画推進会議」の学識経験者や区民委員も推進派が占めていたので、「ジェンダー」の言葉は正しい定義づけで使用ということで何とか残りました。

 こうした逆風(バックラッシュ)が吹く中で、2003年7月、文京区役所のすぐ外で、「男女共同参画社会基本法の廃案を求める会」と「日本の教育を正す会」の連名で、「フェミニズムは共産主義だ」「基本法による思想統制はごめんだ」、また「ジェンダーフリー」はフリーセックスを奨励するなどと書かれた、攻撃のチラシがまかれたりしました。チラシの裏にはサンケイ新聞03年7月12日付「過激な性教育は誰のためにあるか」などと記した八木秀次教授の記事が掲載されていました。

 私は、ジェンダーフリー教育の推進を主張し、バックラッシュ派のいう性教育に対して反論し、従軍慰安婦を支援する活動にも取り組んできました。ジェンダーフリーを攻撃するバックラッシュ派の司令党とも言われる「新しい歴史教科書をつくる会」の事務局は文京区内にあります。当事務局の職員とは、教科書採用問題をめぐって何度も出会っているので、私の顔を覚えられていたことは確かです。しかし、当時の私はバックラッシュ派に対してあまりに無防備だったと思います。

 私が3期目落選したのは、こうしたバックラッシュ派のターゲットにされたのだと数人から言われましたが、私自身もそう思っています。2007年の統一地方選挙では、「女性の視点で」地道にがんばってきた女性議員たちが落選・苦戦という現状が浮かびあがっています。

 東京の一地方議会でもこのようにバックラッシュが起こり、それがわずか数年で、区行政や教育行政における「男女共同参画社会の実現」を後退させ、私の議員活動にも大きな影響を与えたことは、三井マリ子さんが豊中市で排除されるに到った状況と無縁ではありません。そこで、バックラッシュ現象及び女性センターに関して、文京区での事実を述べさせて頂きます。

1)バックラッシュに関して
・2003年10月2日の決算委員会で、W・M議員(民主党)は、区が発行した『それいけ!ジェンダーフリー』という小冊子について、国会答弁を根拠に批判した。それに対し、男女平等青少年課長は、教育委員会で「ジェンダーフリー」の用語を禁止したという答弁をした。

・続いて2004年3月12日の予算委員会で、同じくW・M議員は「新子育て支援 未来を育てる基本のき」(文部科学省委託事業)を取り上げ、その内容を、「男女の性差は否定するものではなく、男らしさ女らしさは自然としてある。男の子の端午の節句、女の子の雛祭りを否定するのは日本の伝統や文化を否定するものだ」と、間違った解釈を前提として、ジェンダーフリーを攻撃・批判した。また、彼は教育委員会が『LOVE&BODY BOOK』を配布させなかったという答弁を引き出した。この『LOVE&BODY BOOK』は、厚生労働省所管財団発行であり、自分が自分の人生の主人公になるために避妊について教えているごく一般的な性教育の冊子である。ところが、山谷えり子議員の国会での批判以来、過激な性教育のテキストとされてきた。

・文京区で議員提案した「男女平等参画推進条例(仮称)案」は古い固定観念を根強く持つ 男性議員たち(与党多数会派)の「この議案に対する区民意識が低いのでは」という意見により否決された。ところが、その後の区民意識調査では「男女平等意識がかなり高い」ことが明らかになった。にも関わらず、条例提案についてはバックラッシュ派による攻撃(隣の荒川区では条例の文言をめぐって紛糾した経緯がある)を警戒して、区側も以前議員提案した女性議員たちも、慎重に時期を選ばざるを得ない状況である。

・したがって文京区では依然「男女平等参画推進条例」がない。そのため、我孫子市のように条例に基づいた男女共同参画推進員として嘱託職員がDV相談や、男女共同参画に関する事務を行うことができない。現在行政組織として「男女協働子育て支援部の中に「男女協働・特命担当課」が設置されているが(この位置付けにも私は異議を唱えたが)、これは首長の意向で左右されやすく、容易に組織変更や消失が起こりうる。条例で担当課もきちんと位置づけ、責務を明記すべきであると考える。

2)女性センターの運営に関して
・文京区は「男女平等推進センター」に名称変更後、男性の参画を意識し(男性からの逆差別というクレームに対し敏感)、当初の設立目的だった「女性の地位向上に資する」という事業が後退している。単なる会議室やホールの貸し館業務がメインの活動ではないはず。センターまつりなどでは、女性問題に取り組んだ市民活動の発表がほとんどなくなっている。これも、センターの機能や位置づけをきちんと明記している条例が制定されていないからである。

・文京区の場合、センターは区直営ではなく、かねてから文京区女性団体連絡会が自主運営をしてきた。この連絡会はNPO法人ではないが、06年から指定管理者として管理運営を委託された。それに伴い会則が改正され、事務局に館長を置くとしているが、これまでの連絡会会長はセンター長(館長)を兼務するというわかりにくい体制である。また、役員は非常勤役員として事務局の中に組み込まれ、一定日数出勤することとなった。事務局は4名削減され、休日夜間担当の臨時職員(アルバイト)を4人採用するというように大幅な組織改変が行われた。しかし センター長のリーダーシップ、区との協働、役員の負担の増大、事業拡大、IT導入の遅れ、公的機関としての制約、利用者の要望とのずれなど課題が山積している。

・事務局は、再任用という形で区の退職者の天下り先になっていたが、指定管理者にな ってからは指定管理者が一応選考を行うものの、今回もは区のOBが採用された。事務長の待遇は週4日勤務の正規職員である。職員の採用・待遇等に関して、その妥当性や公平性など不透明である。また、ボランティアの活用も検討の余地がある。

・今後、指定管理者が管理運営を行う場合、その設置目的にかなった事業運営がなされるかなどに関して、直接監視するのは行政となり、議会が関与し、その予算決算などに関して議論できるのかが危ぶまれている。

 私は今、三井さんを支援する団体「ファイトバックの会」副代表をつとめ、この裁判を全面的に支援しています。それは、かつて「すてっぷ」が三井マリ子さんを全国公募し、採用した見識に拍手喝采したからであり、三井さんが館長となってからの目覚しい事業展開に注目し支持していたからに他なりません。

 実際2002年、7月に初めて「すてっぷ」を視察した時には、ハード面はもちろんのこと、すてっぷの職員や市の女性政策課の担当者からすてっぷの事業概要やDV相談についての説明を受け、羨ましくさえ思いました。また、その日の視察団は、他市の議員やDV相談担当者など女性問題に熱心な人たちだったこともあり、三井さんが昼食会を呼びかけたところ、豊中市の女性議員全員が応える形で列席してくださいました。その会では男女共同参画推進政策について意見交換会をすることができ、実り多い視察となりました。その時の様子を思い出すと、当時はまだすてっぷの山本瑞枝事務局長や市と三井さんの関係はうまくいっているように見受けました。その後も数回すてっぷを視察しましたが、北欧・EUポスター展や女性の人体模型の展示など三井さんならではの活躍に頭の下がる思いでした。

 しかし、2004年初め頃、こうした三井さんの努力にも関わらず、裏で市との軋轢やバックラッシュ攻撃があったことを知り、私も三井館長を排除するなという抗議文を豊中市長に出しました。

 三井さんの雇止めにいたっては、黙って看過できません。全国各地で起こったバックラッシュに対して「ジェンダー平等」を目指す女性たちや議員たちも、それぞれ攻撃を受けてきたのであり、いわれのない偏見や誤解と戦ってきたのです。このようなバックラッシュの流れをなんとしても食い止めたいと願うものです。と同時に、非常勤雇用や派遣労働、臨時職員、パート労働者など、多く女性の不安定な雇用形態・労働条件を是正するため一石を投じたこの裁判の意義は大きいと考えます。

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