陳述書

2007年11月27日
熊野 以素

 私は、40年間、豊中市に住み、府立高校の教員として働いてきました。その傍ら、高齢者福祉の市民運動をしてきました。三井マリ子さんが豊中市を訴えていることを友人から聞いて以来、豊中市の行ったことに憤りを覚え、裁判の行方に強い関心を寄せてきました。

 大阪地方裁判所の「三井マリ子さん敗訴」判決を聞き、愕然としました。

 3年間非常勤の男女共同参画推進センター「すてっぷ」館長として奮闘してきた三井マリ子さんの首を切るために、館長常勤化の話を持ち出す。別の人に内定を出しておきながら、それを隠して形式的な採用テストで三井さんを不合格にする。常勤職員雇い入れを名目とする非常勤「雇い止め」。巧妙で悪質な豊中市の手口です。

 一番の問題は行政がこんなことをしていいのかということです。日本は憲法で男女平等をうたい、男女雇用機会均等法をもち、男女共同参画を推進している国の筈です。市町村はその推進の先頭に立つべき責務が有ります。その責務をなげうち、策を弄して女性非常勤職員を職場から追い出す。情報を意図的に秘匿し、公正さに疑念を抱かざるを得ないやり方をとっても形の上で法律にふれなければ、責任はとわれない。パートタイマー首切りのお手本を行政がやってのけ、司法も追認する。これでは日本全国の非正規労働者はいつでもどんなときでも使い捨て、使用者の気にいらない非常勤職員は首切り自由ということになります。

 行政がこのようなひどい手本を示したのですから、リストラに熱心な企業はただちに見ならうことでしょう。その意味で、この判決の影響は大きいものがあります。とくに非正規雇用が多い女性への打撃となるでしょう。

 雇用者の4割は女性ですが、その半数(51,7%)が非正規雇用と呼ばれるパートタイマー、アルバイト、派遣、登録労働者としての働き方です。(男性雇用者場合は16.6%平成18年統計)。女性の賃金は男性の6割の水準にとどまっています。この賃金格差は1970年代、80年代と大きな違いがありません。

 30数年前私が大学を卒業する頃、女性が進出している職業は教員、医療、事務職など数えるほどでした。この情勢は私の親の世代と同じでした。大正から昭和初期にかけて女性の地位向上の運動が起こったとき、与謝野晶子が女性に開かれたわずかな職業として教員、看護婦、タイピストをあげていたのです。

「50年一緒か!」と怒りながらも、私は女性が懸命に働くことでこの情勢は変わるだろうと信じました。30年、40年の後には全ての職場が女性に開かれ自由にその能力がふるえる時代がくるだろうと。

 私自身の最初の職場は法律事務所の事務員でした。正社員ではありましたが、昇進や責任ある仕事がまかされる可能性はゼロでした。何とか自分の力が発揮出来る職業に就きたいと考え退職し、教員への道を歩み始めました。非常勤講師を経験することになりましたが、明日の保障のない仕事でした。年末になると来年度の口を捜して、近隣の学校や知り合いの学校関係者を片端から訪問して頼んで回る日々が続きます。口がかかればすぐ受けなければなりません、先のことを考えれば過重な時間割も引き受けざるを得ません。結果として公立高校と私学の非常勤として40時間のうえに定時制の4時間の授業を持ち、ヘトヘトになってしまいました。最終バスに揺られながらこんな生活がずっと続くのかと絶望的になった事を思い出します。非常勤職員のつらさは嫌と言うほど味わいました。

 3年後正式に採用されて喜んだものの、当時は教員の世界でも女性差別が存在していました。「子どもを産んでまで働くのか」「女に担任はさせられない」等々、私自身に投げつけられた言葉です。まして民間の企業は男女差別が当たり前、女性の結婚退職が常識、そして男女を問わない無制限ともいえる長時間労働の世界です。多くの女性が涙をのんで職場を去っていきました。

 私の高校のクラスは30人が女性でした。その殆どが上級学校に進み就職しましたが、二人を除いて結婚と出産を理由に退職せざるを得ませんでした。仕事を続けた二人(私を含めて)の職業は教員でした。退職した彼女たちが再び働こうとしたときパートタイマー以外の道は閉ざされていました。いわゆるM型雇用です。

 職場に残った女性については産休の延長や育児休業の制度、遅々たるものでしたが保育所の整備等がおこなわれて差別は解消の方向に向かっていきました。勿論これとても、私が働いていた教員現場をはじめとする多くの職場における女性労働組合員のねばり強い要求があったからです。

 いっぽう男女雇用機会均等法も成立し女性に対して「男と同じように働くこと」が要求されました。そのような風潮が進む中、私自身も家族に犠牲をしいつつ必死に働きました。「次に続く女性のためにも」と自らを励まし続けながら。

 しかし、これはいわゆる正社員の世界の話です。パートタイマーの女性はずっと無権利の状態におかれたままでした。そのうえ90年代から中高年女性のパートタイマーばかりではなく、労働市場に参入する最初からの派遣、有期契約、登録などの非正規雇用が急激に増加してきています。現在、女性の10代20代の雇用者の半数が非正規雇用という実態があります。「正社員」女性の待遇は多少改善されても非正規女性雇用者が増え続ける結果、女性全体としては待遇がむしろ悪化している情勢なのです。

 短時間労働、非常勤の雇用は欧米においても増えています。けれども北欧・西欧においては同一労働同一賃金の原則が徹底され、非常勤職にも社会保障の権利が認められています。アメリカは自由主義で働き方自由の原則ですが、職種ごとに存在する労働組合が非正規労働者の労働条件を守る為にはたらいています。

 日本では非正規雇用の労働者は正社員と同じ職場で同じように働いても賃金は半分以下であり、社会保険は未加入、「雇い止め」を恐れて雇主に対して当然の要求もできないという過酷な状況下で日夜働いているのです。そしてこのような労働者が日本経済を支えているのです。

 私の親しい教え子は介護関係の福祉法人に1年契約のヘルパーとして雇用されました。毎年契約は更新され、5年目に副主任という地位になりました。ところが部下に若い正社員がおり、その給与は彼女より多く、彼女には支給されないボーナスを受け取り、彼女は加入させて貰えない社会保険に入っていることを知り、ショックを受けました。正当な待遇を要求する権利があると彼女は考えましたが、正式に要求すれば契約更新を拒否されるのではないかと恐れ、泣き寝入りせざるを得ませんでした。

 次は私の親族の経験です。北摂のある私立高校に一生懸命働けば採用テストを実施して常勤の教員に登用する可能性が有るとほのめかされ、勤めはじめた4人の非常勤講師がいました。良心的な私学では長年勤めた非常勤講師の中から教諭を採用する慣行を持つ学校があると知っていた彼らは懸命に働きました。しかしテストはついに行われず、2年目の終わりに突然全員解雇されました。その後、彼らの内2名の男性は他校で正規雇用の教員になりましたが、教師としての資質が最も優れているといわれていた女性講師には正規雇用のチャンスはついに訪れませんでした。彼女はいまも低賃金の非常勤講師職を転々としています。

 こんな例は枚挙にいとまがありません。

 正社員非正社員入り交じってあらゆる職場に女性の数はふえました。しかし管理職に登用される女性は少なく、労働の実態も所得も職場での地位も余りにも低い。企業にせよ公務員にせよ男性優位の世界です。女性が活躍できる職場と言えばいまだに教員、医療看護、福祉などに限られています。

 このような日本の実態を朝日新聞は「男女格差大国」とよんでいます。世界経済フォーラム調査で日本は男女平等指数・世界91位です。アジア太平洋地域では最下位、女性の地位が「低い」とされるイスラム教社会のインドネシアに遠く及びません。

 今、私は長い職業生活を終えました。周囲を見回してみると、あまりの進歩のなさに暗澹たる思いです。この30年間はなんだったのか、いつになったら日本は男女平等の国になるのだろう。働き続けてきた女性として私は次の様に思っています。

「先進国で最低」の女性の地位を向上させるために日本政府や自治体はあらゆる点で努力しなければなりません。女性のみならず急増する非正規雇用は格差を生み、日本の若者から活気を奪っています。非常勤で働く労働者の権利を確立すべきです。これには労働組合や立法、行政、司法それぞれの努力が必要です。少子高齢化問題の根には女性が働き続けられない社会の仕組みがあります。女性が働き続けられる環境整備が必要です。ここでも行政の役割は重要です。

 働くものにとって最も望まれるのは安定的な雇用です、最も恐れるのは一方的解雇です。とくに非正規雇用の女性にとって「雇い止め」は致命的です。地域の企業や団体に対して解雇権の恣意的な行使をしないように指導することが地方自治体に求められます。

 ところが豊中市はこの努力をするどころか、男女共同参画推進に不当な攻撃をかけてきた団体や議員の圧力に負け、館長首切りをあえてしたのです。

 行政が非常勤職員に対する不当な「雇い止め」を行い、司法がそれを許すならば、「雇い止め」への歯止めは何もなくなってしまいます。これでは日本という国はいつまでたっても男女格差大国のままです。司法の場で「自治体がこのような不当な首切りをすることは絶対に許されない」という判断を示して頂きたいと強く願います。

 大阪高等裁判所が女性の地位の向上と日本の未来のために公正な判決を下されることを期待しています。

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