陳述書

2008年5月

岡田夫佐子(児童福祉施設保育士)

乳児院で働く保育士が見た非正規職の実態


 私は児童福祉施設である乳児院で保育士として約18年、勤務しております。

 私の勤務する乳児院での臨時職員の待遇がどういうものであるのか、を知っていただくことで、一般に非常勤とか臨職とか言われる人々への理解を深めていただきたく、陳述させていただきます。

 乳児院での職員配置は国の最低基準では子ども1.7人に対し、直接処遇職員一人となっています。定員55名の私の勤務する乳児院では、32人が正規職員、ほかに8人の臨時職員(1年ごとの契約)と2名のパート職員を雇用しています。保育士は特別の事情がないかぎり、みな、臨時職員として採用され、32人の正規職員の中から退職者があった場合に、採用年度の古い人から順に正規職員に上がっていくシステムをとっています。建前上は、この順番は保証の限りではありませんが、現実的には「採用順」が狂ったことはありません。ただ、順番がなかなか回ってこないことに腹をたてて、あるいは採用時の説明がいい加減で、正規職員になるのに6年も7年もかかるとは聞いていない、と怒って、自分から辞めていく人は時々いました。この点については、改善の必要あり、として院長に職員側からお願いして、実態に即した説明をしてもらうようにしました。

 私が採用された頃は、様々な理由から年間数人程度の退職者があり、私は幸いにして臨職を一年やって、二年目に正規職員として採用されました。ここ最近の傾向では結婚しても、出産しても退職する人はほとんどいなくなり、6年から7年という長期間に渡って臨時職員として働くことを余儀なくされています。皆、臨時職員を好んでやる人はなく、正規職員になるための通過点として臨職に甘んじているだけです。臨職であることのデメリットは多々あれど、メリットというものはほぼ、ないと言っていいでしょう。

 乳児院は、親族が育てることの出来ない乳幼児を養育する場ですから、24時間、365日、開店状態にあります。よって、職員は「夜勤が出来ること」が採用の前提条件です。臨時職員といえども、正職と同様に勤務のローテーションに完全に組み込まれており、夜勤を拒否することはできません。多い時には15人の3歳未満の子どもたちを、たった一人でみなければならない時間帯があります。(PM9時から翌AM1時までの準夜勤帯と、AM1時からAM6時までの深夜勤帯)孤独で責任の重い仕事です。障害児が体調を崩している時など、何も起こらないことを念じて交替時間を待つか、そんなこともあんなことも考える暇もないほど忙しかった、という夜勤もあります。その仕事に正職も臨職もありません。子どもがケガをして通院した場合には、「事故報告書」なるものを書きますが、そこにも正職、臨職の別はありません。仕事内容のどこにも正規と臨時を分かつところはないのです。数年前から、一つだけ臨職の仕事量を増やさない工夫をするようになりました。それは、乳児院での職員一人当たりの担当児の数は一人ないし二人ですが、臨職が二人担当しているのに、正職が一人の子どもしか担当していない、という逆転現象があり、これはおかしい、と臨職から苦情がでて、改善されました。

 これら正規職員とほとんど変わらない仕事を、臨時職員は正規の半分以下の給与待遇でこなしています。臨時職員の給与は夜勤手当、その他手当を含めて手取り約18万円前後の日給月給制です。ボーナスは1回当たり10万円前後と聞きます。有給休暇については、経験年数に関係なく年間6日間だけと決まっており、月平均で1日以上、正規職員より休日が少ないのが実態です。

 それに対し、正規職員は、公務員(名古屋市)に準じる年功序列型賃金制度をとっており、勤続年数により実質賃金は大きく変わるため、一概に比較は出来ませんが、前歴加算分を含む22年目(実質は18年目)の給与を受け取る私の昨年の総所得は700万円弱でした。私は38.9歳での中途採用で、現在56歳となり、昇給ストップの年齢です。

 我が職場の臨時職員たちは、仕事をさぼることもなく、正職に負けず劣らずけなげに良く働いています。けれど、給与への不満というより、正規職員との給与格差への不満はしばしば耳にします。不満を感じながらも、明日は正規、明日は正規と夢見ながら、じっと耐えて働いているのです。これだけの格差がありながら、耐えられるのは「我慢すれば正規職員になれる」という将来を信じられるからです。もし仮にこの将来への信頼が揺らぐとしたら、誰がこの差別的な地位に甘んじて働くでしょう。それでも働く人はいるでしょうが、自らへの矜持と責任感を持った人が居つくとは考えられません。職員の今以上の質の低下は、子どもの命の軽視と、育ちの悪化を招きます。

 三井マリ子さんの仕事振りと、給与待遇を良く見てください。待遇に見合わない本当にすばらしい仕事を続けています。待遇面を度外視してでも、社会に有用な仕事が出来る喜びにあふれて働く三井さんの姿が、”陳述書“に活写されています。これを”勝手に働いたのだ”ということは、理屈の上では言えます。しかし、三井さんの働きが、社会に有用な仕事であることを否定できる人はいないでしょう。

 そんな仕事振りの三井さんを、わざわざ勝手に就業規則を変え、「次期館長は第一義的には三井さんだ」と言ってはだまし、勝手に後任館長を決めた上での“選考試験”を行うなど、全く持って、人を愚弄しきった取り扱いです。

 こうした人の尊厳をこっぴどく痛めつける事例を裁判所が肯定するなら、人々はどこに救いを求めるべきでしょうか。

 どこにも、救いの道はない、と裁判所は人々に教えるのでしょうか。

 裁判官は、悪の道に進まぬように、普通のサラリーマンの何倍かの給与を与えられている、と聞きます。それだからと言って、普通の人々の心情が分からなくなっては困ります。豊中市及び財団は、体制強化のための館長常勤化であると言っていますが、後任館長となられた桂さんは「体制強化にはなっていない」と証言し、そののち、館長を辞めてしまわれました。男女共同参画社会を目指す使命を担っているはずの豊中市と財団は、少なくとも二人の女性の人生に多大な迷惑をかけ、実質的な損害を与えています。これを認めないなら、一般市民に理解できる説明をしてください。

 ほんとに、男女平等を推し進めるべき役割を担った女性センターにおいてのこの所業は、本末転倒と言わざるをえません。どうか、社会の歴史を逆行させるのではなく、前にすすめる御判断をいただきたい、と切に願うものです。

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