陳 述 書

2006年6月21日
山田千秋

 私は豊中市に24年間居住する市民です。豊中を愛し、食の安全や環境問題を考える活動や、障害者作業所のボランティア活動などをして参りました。
 豊中市はかつて、人権擁護都市宣言や平和都市宣言などいち早く提唱し、人権平和政策を柱に掲げました。私は、そんな豊中市の姿勢を、誇りに思ってきました。
 私は、20年ほど前に、女性の人権を考える中央公民館の講座を受講したことがきっかけで、豊中市の女性政策を知ることになり、それ以降、市の女性政策には、一定の評価を与えてきました。また、市立女性センター構想を講座担当者から聞かされたときには、その構想の実現に大きな期待を寄せて参りました。
 とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ(以下すてっぷ)がオープンしてからは、利用者のひとりでもありました。

 そのすてっぷの館長であった三井さんが、雇止めされて、その不当性を提訴されました。私は、この裁判には強い関心を抱いて参りました。
 2006年5月22日、私は大阪地裁で、豊中市人権文化部部長の本郷和平氏の証人尋問を傍聴しました。
 その中で、2003年3月に男女共同参画推進条例案の上程を市が断念したのは「バックラッシュの力が大きかった」、という市側の説明を書き記した私の記録(甲56号証)が話題となりました。
 弁護士は「そのとおりですね」と本郷部長に聞きました。
 それに対して本郷部長は、「市民団体がまとめられたものですね、『(報告者 山田)』となってますから」と断った上で、「これは前任の部長に聞きましたけれど、そういう説明はしていないというふうに私は聞いてますが」と切り捨てました。
 これは、嘘偽りなく書き留めた私の報告を踏みにじるものでした。私の名誉を著しく傷つけるものでした。
 この本郷証人の発言は、事実とまったく違うということを、私はここに陳述いたします。

 豊中市の男女共同参画推進条例には長い準備期間がありました。1998年に豊中市女性問題審議会が作られました。その後、審議会は何回もの話し合いを重ね、2002年3月、条例に盛り込むべき内容が書かれた「答申」を出し、条例の早期制定を市に要望しました。その答申内容にそった条例案が2003年3月の議会に上程されて可決制定され、施行される筈でした。
 それが、2002年秋頃から、男女平等に反対する勢力によって、条例に反対する運動が始まりました。市役所前でのビラ撒き、街宣車の横付けなど、その光景は、とても異様で不気味ですらありました。
 このような男女平等社会の推進を嫌い、条例を無力化する運動は全国的な動きである、との情報を得ていましたので、私は、豊中市の条例の行方が大変気になり、制定の先行きに不安を覚えていました。
 議会への条例案上程を目前にした2002年12月9日のことです。すてっぷを利用する市民の交流会のつもりで参加した会合でのことでした。

 そこには、すてっぷの山本瑞枝事務局長が出席していました。山本事務局長は疲れきった蒼白の表情で、大量の経過資料(バックラッシュ勢力の表現が多数見られた)を配りながら、「バックラッシュ勢力」(山本事務局長の言葉)によってすてっぷが嫌がらせを受けつづけていること、そして、男女共同参画推進条例制定の道筋が危ういことを、その場にいる参加者に訴え始めました。そして、条例案が審議会の答申通りに可決されるように、なんとか力添えをしてほしいと、私たちに懇願しました。
 山本事務局長が「バックラッシュ」という言葉を口端に上らせ、大変な危機感を持った表情で市民にサポートを求めるという事態に、私は、ことの深刻さを認識するとともに、バックラッシュ勢力に非常な恐怖を感じました。
 70人ほど出席者がいたと思いますが、全員一致で、審議会答申を尊重した条例の制定を求める運動をすることを決めました。その運動体は「男女共同参画社会をつくる豊中連絡会」(以下連絡会)と名づけられましたが、代表を決めるのに大変時間がかかりました。バックラッシュ勢力の嫌がらせや攻撃が、組織的で執拗であることを、ほとんどの人が認識していたからです。
 とはいえ、豊中市を男女平等社会にしてゆくためには、審議会答申を尊重した条例を一日も早く制定しなければならない、市民が力を出し合えば恐れることはない、と、私たちは決意を固めました。早速、市長や議長宛に審議会答申にそった条例を求める要望書を出す手筈や、署名運動の準備を始めました。その後、要望書を市長、議長宛に提出。さらに、後日、市長、議長宛にそれぞれ約1000名の署名簿を提出しました。

 ところが、こうした私たちの努力にも関わらず、結局3月議会に、男女共同参画推進条例案は上程されませんでした。
条例案が上程されないことになった、ということを私たち「連絡会」が市から聞かされたのは、2003年2月20日午後4時、すてっぷの会議室でした。当時の人権文化部長と男女共同参画推進課長が説明にあたりました。
 人権文化部長は、条例制定について与党会派からの慎重論が大きくなり、議会状況が変化したため、3月上程を見送るが、9月議会では必ず可決させたい、と言いました。
 条例制定は市長の公約であり、市長与党の会派がその条例案を承認することは理事者側には折込済みであったのに、何故、ここにきて議会状況が変化したのか、上記の説明では私たちは納得できる筈もありません。そこで市民側は市側になぜか、と質しました。
 それに対して、「背景にバックラッシュ勢力の力があった」と市側は明言しました。
 この記録は、当日出席できなかったメンバーへの報告のために私が書き、次の「連絡会」の会合で配布したものです。そのコピーを入手していた三井さんが裁判所に甲56号証として提出されています。そこには、市側の発言として「バックラッシュの力が大きかった。理事者側と議会との信頼関係では解決できない力が働いた」と記録されています。市側の出席者とは人権文化部長と男女共同参画推進課長です。

 私は、誠実に事実を記録することに重きを置いてこの報告を作成致しました。
 優れた条例案が、こわもての反対勢力によってブレーキをかけられるという異常な事態に、私は直面しました。そして、「不明朗な圧力によって人権政策が後退することがあってはならない。そこに居合わせた時代の証人として、次代の人達に恥ずかしくないよう、胸を張って事実を書きとめ、真実を見極めよう」と、この報告をしたためたのです。私の心には、一点の曇りもありませんでした。
 そうした市民の、時代の証人たろうとした一途な意志と行動を、本郷人権文部長は、5月の大阪地裁証言において「市民が書いたもので信用できない」と受け取れるような表現で切り捨てました。私の心は著しく傷つけられました。
公僕でありながら、自らの保身のために真実に迫ろうとせず、市民を貶める本郷人権文化部長の行為は、全ての市民をも愚弄するものです。

 真実を述べる、とした法廷での宣誓の重みを、本郷部長はどう考えているのでしょうか。 本郷部長の証言によれば、前部長が「そういう発言はしていない」と言っているのだそうです。ということは、前部長が現 部長に対して嘘を言い、現部長は法廷で、その嘘をあたかも真実であるかのように表現したということです。
真実を明らかにするため、傷つけられた私の名誉を回復するために、前部長に証言台に立っていただくことを切望します。もし、それが叶わないのであれば、せめて、前部長に陳述書を書くよう、法廷の権限で被告側に促していただきたく思います。
 真実の究明を、よろしくお願いいたします。

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