11月例会

「館長雇い止めバックラッシュ裁判―原告・三井マリ子さんのお話を聞く」に参加して

小松満貴子(女性学研究会会員)

 私は2003年の暮、友人から三井さんが豊中の「すてっぷ」館長をおやめになるらしいという噂を聞きました。そして豊中市の担当者から組織変更のためという説明を受けたのは2004年1月26日でした。ご本人がご自身の都合や契約上納得していらっしゃるとばかり思っていたら、その3月末、評議員会で三井さんが悔し涙を抑え、断腸の思いで去る旨のご挨拶をなさったのを聞いて私は胸が痛み、それをとめることが出来なかった自分の無力を本当に情けないと思いました。

 「すてっぷ」に提言の段階から関わって来た私は思い入れが深く、館長に三井さんがおいでになったのを喜んでいました。それだけに彼女がこんな形で去るのは残念でしたので、彼女が提訴なさってからは出来るだけ都合をつけて法廷の傍聴をしてきました。その延長でこの例会にも参加したのでした。担当の遠山さん、村井さんが資料等よく準備され、熱心な支援者が会員以外にも遠方から参加していました。三井さんが全力を傾注してお仕事をなさってきたことがバックラッシュ派の市民に評価されなかったことの無念さは、例会参加者の誰もが共有しているように思われました。

 思うに2002年頃から日本の各地で起こっているジェンダー平等政策への反動勢力の攻撃は、1975年の国連のメキシコ宣言・世界行動計画が否定した男女機能平等論に基づくもので、先ごろ千葉県市川市で条例が改定されたのもその典型です。いわば歴史的にみれば文明の衝突であり、儒教的家父長体制にしがみつく家制度維持派 対 文明の潮流の大きな変化を背景とした女性の人権擁護運動という構図が見えてきます。いま後退することは決して認められません。私は2002年秋、一年滞在したイギリスから帰国したときフェミニストの友人から「いま日本はジェンダーフリー・バッシングがすごいんです」というお電話を頂いて、それまで使わなかったジェンダーフリーをメールアドレスにわざと使うようになりました。

 私はこの例会で「10年位前から各地に男女共同参画推進センター(ないし女性センター)が設置され、所長を公募する所も稀ではない。しかしその身分は非常勤で不安定で、自治体内の格付けからいえば、特別職ではなく課長か課長補佐程度の扱いで、実質的権限は本庁から派遣された事務局長や所長補佐が掌握し、職員の労務管理権や人事権もない形が多いが、このような採用の仕方は問題があると思う」という旨の発言をしました。「すてっぷ」も後任は常勤で館長と事務局長を兼任していらっしゃいます。常勤はよかったですが、この兼務職は大変なことと察しています。

 彼女はWSSJの古くからの会員ですが、三井さんが納得して退任なさると思ってこれを引き受けたとのことです。原告はもちろん被告となった「すてっぷ」の多くの職員もジェンダー平等施策を推進しようという思いは同じなのに、市や財団の一部のまずい対応からこのように法廷で対立しなければならないのは大変嘆かわしいことです。日本の永年のジェンダー平等への努力を無にしないような、真実を直視した判決が待たれます。


(出典:日本女性学研究会ニュース『VOICE OF WOMEN』 2007年1月号に掲載)



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