『陳述書』感想 17

■大きな器を造りたがる男たちの器が大きいとは限らない

伊藤 悦子(元郵政省職員)



 「陳述書」を読めば、この裁判は被告側に非のあることは明らかです。しかし、バックラッシュの風が吹きすさぶ今の世で三井マリ子さんの才能とパワーは豊中の器には収まりきれなかったのではないでしょうか。三井館長の才能やパワーに感嘆の眼差しを送っていた男たちが、しだいに恐怖の眼差しに変わった。女には対等になって欲しくないのが彼らの本心なのに、三井館長の企画に参加した女たちは生き生きとし、そして強くなる。さらに三井は世界の要人を招き通訳までこなしてしまう。これでは男の影は薄くなるばかり。北川悟司議員をはじめ男どもの慌てぶりが目に浮かぶのは私だけでしょうか。その後のやり方の汚さに私は陳述書を読むのがいやになってしまいました。



■バックラッシュが目の前に現れてくる感じ

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