裁判のルーツは開所式にあった(2011年5月21日最高裁勝利集会・挨拶)

三井マリ子(すてっぷ初代館長)


三井さん

 このホールは、私にとって思い出深いところです。2000年11月、ここで、すてっぷのオープニング・セレモニーがありました。新米館長の初の大行事だと私は思いこんでいました。ところが私の席がなかったのです。「どこに座ったらいいのですか」と事務局長に聞きました。そしたら、「出なくていいで す」と言われたのです。

 でも私は、館長として見ておいたほうがいいと考え、とっさに映写室に駆け込みました。あそこです。そこで私は、本当なら、この式典の中で、館長の 私を紹介する場面があるべきではと思いながら、式典をガラス越しに見ていました。この珍現象を、どう解釈するべきか、ですが……。

 豊中市は、そもそもまじめに男女平等について考えていなかったのではないか、と思います。当時を振り返っていただきたいのですが、男女共同参画社 会基本法が制定されました。そして、あちこちの自治体にこの種の施設ができたわけです。でも、「仏作って魂入れず」、の状態ではなかったかと思います。豊中市 も、そんなひとつだったのでは、と思うのです。

 だから、あの開所式の時点で、館長を紹介しようなんて、どうでもよかった。世間体だけが問題だった。つまり、あのときの来賓は、市議会議員などが 主だった顔ぶれでした。そして、その後も、豊中市は議員の顔色をうかがいつつ、運営を続けた。そして、市議会の一部勢力の横やりに耐え切れなくなって、館長排斥を画策することになった。つまり私の6年半の裁判のルーツは、ここで10年前に行われた開所式にあった、といえるのではないかと思います。

 さて私は、ここから徒歩3分の所にアパートを借り、仕事にまい進しました。仏に魂を吹き込む仕事は、やりがいがありました。

 こんな私に、職場の情報をまったく知らせず、一方で「本人は辞めることを承諾している」と嘘を流して、豊中市は私の首を切りました。こんな仕打ち を、大阪高裁は、「人格権の侵害」であると認めたのです。陰湿で無礼な首切りは犯罪的行為と決まったのです。「労働判例」という形で、次に闘う人にバトン を渡すことができたことは、大きな喜びです。

 皆さんは、男女平等を嫌悪するバックラッシュという政治勢力が後にうごめいていることをご存じですね。そのバックラッシュの暴力的言動を、判決は 驚くほど詳細に認定しました。男女平等社会とは、すなわち反動勢力の言いなりにならない社会です。そういう社会を作りたい私たちにとって、この判決は、大 きな「宝もの」だといえます。

 裁判を通じて私は、行政というものは、嘘をついたり、資料を勝手に改ざんしたり、情報を隠したりすることは、ごく当たり前な行為なのだと学びまし た。私たちが、そのインチキを見破る眼を持たない限り、権力は勝手に暴走し続けます。3.11後の原発対応しかりです。その意味では、この事件は、私たちに大きな学習材料を残してくれたと 思います。

 雇止め自体の違法性が認められなかったこと、慰謝料がたったの150万円と余りに低いこと、など問題点は残されています。今後、この最高裁で確定した判決を糧にして、さらに日本の男女不平等を変革する運動にまい進したいと、私は思います。

 それが、文字どおり手弁当で支え続けて下さった弁護団の皆様、支援して下さった皆様への、私からの「恩返し」だと思っております。ありがとうございました。

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