浅倉意見書感想 13

■浅倉意見書は三井裁判への福音書


木村昭子(ファイトバックの会@高知)


 浅倉むつ子教授の「意見書」は三井裁判へのまさに福音書である。これほど明確にバックラッシュの無法を断罪し、その影響を恐れ、萎縮し、その攻撃をかわさんが為の豊中市と財団の卑劣な三井下ろしの工作を指弾した文書を、私は初めて読んだ。

 この意見書は、三井裁判に新たな展望をもたらすだろうと確信させるに余りある。労働法、ジェンダー法双方の権威である浅倉むつ子教授だからこそ書けた至高の論文である。

 ここに書かれているそれぞれの事象は、既に三井さんの陳述書と弁護団の数々の準備書面により法廷で明らかにされてきた。その事実の中から、ジェンダー学の研究者である浅倉教授は、バックラッシュ勢力の実態に焦点をあてる。それがこの意見書の大きな特徴のひとつとなっている。

 「バックラッシュ勢力の横暴で執拗な言動について」と特に章を立てて「バックラッシュ勢力の攻撃と地方自治体の自己規制」「豊中市の場合」と論じ、更に別の章でも「バックラッシュ勢力からの圧力に対する豊中市と財団の対応」と、バックラッシュ勢力に対する読み手の認識を喚起しようとしている。男性である裁判長にとって、「バックラッシュ勢力」はさしたる関心事ではなかったであろうと想像されるが、この意見書によりかならずや裁判長の認識が深まるであろう。それが、この裁判の行方を方向づけることになると信じたい。

 研究者が「象牙の塔」を出て、その研究成果を市民生活に活かすことを、社会は求めており、浅倉教授の今回の意見書執筆は、こうした社会の要請に応えたものであろう。とはいえ、多忙な浅倉教授が三井陳述書をはじめ、膨大な量の裁判記録の資料をすべて精査し、第1審判決の問題点を逐一指摘された、その努力には、ただただ敬意を表さざるをえない。

 浅倉教授をここまで駆り立てたものは何だろうか? それは、三井さんが裁判をしてまで訴えねばならなかった「バックラッシュ勢力に屈した行政による非常勤館長の使い捨て」が、労働法・ジェンダー法から見て、いかに許しがたいものであるかという点にあるのではないだろうか。

 昨年来の世界的不況を背景に、働く者の人格権や労働環境はないに等しい状況が現出している。また、セクハラ・パワハラ・モラハラの増加と共に雇用者の「労働環境保持義務」が強調されるようになってきた。これらハラスメントは人権侵害に他ならない。今ほど働く者の「人格権」と「労働環境保持」が求められる時は無いと痛感している。

 三井さんは、人格権と労働環境を保障されたディーセントワーークの確保という、人間にとって基本的で普遍的な権利を求めて闘っていることを、浅倉意見書は語っている。

     
2009年3月29日
 

■人間としての誇りをとりもどす大きな力を与えてくれた


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