今年も元気に闘い続けます!

三井マリ子(原告)

 裁判が始まってからもう5年目です。弁護団の後を歩いて、大阪地方裁判所のエレベーターに乗り、長い廊下 を渡って法廷に入室した初めての裁判の日が思い出されます。

 地裁に提出した膨大な証拠と弁護団による明晰な主張のおかげで、山田裁判長は豊中市らの嘘・不正のいくつ かを認めざるをえませんでした。

 裁判長は、「(組織体制変更の情報を)意図的に秘匿したことは明らか」「(後任館長人事に関して)原告に情報を開示してなかったことが認められる」「(後任館長候補に『あなたしかいない』と懇請した市の部長が選考委員だったことは)公正さに疑念を抱かざる事情といわざるをえない」「「山本事務局長は『自分は、原告を裏切った』と述べるに到った」と述べています。

 しかし、その同じ裁判長が首切りは「違法とまでは言えない」と棄却したのです。無念でした。私は怒りをこ めて大阪高等裁判所に控訴しました。

 高裁では、「陳述書」が全国から50 通以上届きました。この日本で女性が働き続けることの困難さや、同じよ うに理不尽に使い捨てされた現状がつづられ、涙なしには読めない文章が数多くありました。私に嫌がらせをし た同じ人物によって、同種のバックラッシュ攻撃をされた方からは、克明な手記をいただきました。この裁判は 私だけの裁判ではないと確信させられました。地裁では私の主張は退けられましたが、控訴したことの意義をあ らためてかみしめました。

 陳述書という形ではないですが、お手紙もたくさんいただきました。私が受けた使い捨てと同じような目にあっている非正規雇用の方々からの長い手紙を読むたびに、怒りにふるえ、そんな無念さを糧に裁判の書面づくりに励む日々でした。

 頭痛、肩凝り、目の痛みで悩むこともありました。でも、山のような裁判資料と格闘する生活にも、苦しさを 超えた楽しみを見出せるようになりました。

 敗訴した後、2008 年初めの報告会で、宮地光子弁護士は次のように話されました。

 「この裁判が難しいのは、格差社会を支える日本的雇用の根幹と闘う裁判であり、バックラッシュ に屈した行政責任を正面から問う裁判だからです。」

 この言葉は私を奮い立たせてくれました。皆様とともに再度かみしめたいと思います。






初めての傍聴のため、大阪地裁の正面玄関に向かう支援者たち(2005 年春)

 

出典:「ファイトバック!」第10号 (館長雇止め・バック
ラッシュ裁判を支援する会、2009年3月1日発行)
全文は「ファイトバック!」バックナンバーのページからどうぞ

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