提訴3年目の真実 続き

原告  三井マリ子 (豊中市男女共同参画推進センター「すてっぷ」初代館長)



館長定年なし、他は60歳まで

 話を非正規職員問題に移します。

 すてっぷの非常勤館長は、世の中の一般的な非常勤職より多少有利な条件のもとで働いていたと思います。館長職の雇用更新は、以下のようになっています。

「館長就業規則第4条 前条の雇用期間が満了した館長については、その者の能力及び経験等を考慮し、業務の効率的な運営を確保するため必要があると認められる場合は、その雇用期間を更新することができる」

 これによると、館長は、1年毎の雇用更新を繰り返して何回でも雇用されることが可能なのです。定年も定められていません。

 他の嘱託職員の雇用更新は、次のとおりです。

「嘱託職員就業規則第5条 前条の雇用期間が満了した嘱託職員については、その者の能力及び経験等を考慮し、業務の効率的な運営を確保するため必要があると認められる場合は、その雇用期間を更新することができる。この場場合において、雇用期間及び雇用の用件は、前条の規定を準用する。ただし、雇用期間中に満60歳に達したものについては、前条の規定にかかわらず当該達した日に属する年度の年末までを限度として雇用期間を更新することができる」

 さらに2003年夏ごろに運営委員会に出したとされる「2003年5月25日試案 とよなか男女共同参画推進財団職員体制の整備について」なる文書にはこう書かれています。


「このままでは雇用打ち切りができなくなる」

 豊中市が上記就業規則を作成した当時は、社会的に弱い立場の人々の味方になろうと、意気込んでいたのではないかと思われます。しかし、市の政権も変わると、非正規職員の雇用条件を厳しくする方向に姿勢が変わります。

 すてっぷ事務局長は、すてっぷの就業規則を変える使命を担って、市からすてっぷに派遣されたと思われます。彼女は、2003年4月16日に結成された労働組合対策として、結成わずか3日後の19日付で「とよなか男女共同参画推進財団嘱託職員組合結成について」という文書を出しました。それにはこう書いています。

「規則上は1年毎の更新を繰り返しながら定年の60歳まで働きつづけることが可能であるが、あくまで財団が必要とする場合、『更新することができる』としての運用である。しかし、自治体と違い財団は民間法人であるため、5年を超えて雇用しつづけた場合、1年毎の採用更新の形をとっても、労基法上で定める『期間の定めのない雇用』とみなされるとする判例が全国で相次いでおり、使用者の都合による雇用打ち切りができないこととなる。特に、2005年9月には財団設立時に採用した職員が雇用期間5年となるため、期に問題解決をはかる必要がある」

 さらに2003年夏ごろに運営委員会に出したとされる「2003年5月25日試案 とよなか男女共同参画推進財団職員体制の整備について」なる文書にはこう書かれています。

「5年を超えて雇用しつづけた場合、1年毎の採用としても労基法上は期間ののない雇用とみなされる。2000年9月に採用された非正規職員は、2005年9月になると雇用期間が5年となるため、正規職員と同様の雇用上の地位となる」

 すてっぷは民間法人だから、5年を超えて働く職員の場合、使用者の都合によって首にできなくなるため、それでは困るから規則を変えたいというのが、事務局長の趣旨でした。「このままだと全員ずーっと勤められる就業規則なのだ」と非常に心配していました。

私の後任となった現館長にも、引き継ぎの話し合いの際、事務局長(すでに市に移動)は、この雇止めを強行することをまっさきに伝えたそうです。現館長は私にこう話してくれました。

 このことは、雇止めの規則を作ることが最優先課題だったことがわかります。


非常勤館長ポスト廃止

 さらに、事務局長は、「2003/6/9試案 嘱託職員就業規則等改正に関する構想」をすてっぷ事務局幹部に示しました。

 それには、館長を除く嘱託職員が定年まで更新可能となっている現就業規則を、2004年4月1日付で「更新回数の上限を4回とする(最長雇用期間5年とする)」に改正する案が書かれています。

 これは、嘱託職員は全員5年で辞めさせる、ということです。すてっぷの嘱託職員は全員女性でした。これは女性の地位向上をめざしているすてっぷの趣旨に反するものです。

 その頃、私が館長についてはどうなのかと聞くと、「館長は別です」と笑いながらはぐらかしました。事務局長のこうした発言は、理事会の議事録にも記載されています。しかし実際には、非常勤である館長の私が、真っ先に首を切られたのでした。ちなみに、私が裁判に訴えたこともあってか、私以外に雇止めとなった職員は誰も出ていません。


組織強化の名の下に

 話は長くなりましたが、つまるところ、すてっぷの就業規則上、非常勤館長の首は切りにくいのです。

 そこで、別の手立てとして登場したのが、組織体制変更(のち組織体制強化と変えられた)に名を借りた非常勤館長のポストの消滅です。ポストを廃止すれば更新問題は生じません。これが私の身にふりかかった「雇止め」という名の解雇です。

 2003年11月、市の人権文化部長は、組織変更と非常勤館長の常勤化を言い出しました。私は部下にあたる事務局長に「組織変更案が出ているらしいが、知ってた?」と尋ねたら、彼女は知っているかどうかについては返事をせず、「常勤になったら第一義的には三井さんです」と言いました。

 しかし、12月になると、豊中市は、館長ポストそのものを廃止して、すてっぷのトップは事務局長とすると私に告げました。それと相前後して、私の後任の館長も決まりかけていることを、偶然の機会に私は知りました。

 「三井さん大変ね、私にも話があったのよ」と私に言った知人がいました。後日、「話って何だったのか」と聞いた私に、彼女は「11月初め、豊中市の人権文化部長と男女共同参画課長がやってきて、4月から館長をしてほしいということを言われた」と話してくれました。私に無邪気に話したのは、「三井さんは承知している、と市から聞いたから」というのです。とてもショックでした。私は、自分が解雇されかかっている身であることを悟りました。


非常勤職員と不当解雇

 非正規職員であろうと正規職員であろうと、同等の仕事をしている限りにおいて雇用条件は同等であるべきです。雇止めは事実上の解雇であり、正当な理由がなければ不当解雇だと私は考えます。

 私は年俸360万円、週22.5時間の労働契約のもとで、最善を尽くしました。余人をもって代え難い仕事をしてきたつもりです。私が館長を務めるすてっぷの仕事ぶりについて、豊中市や財団理事会から評価されこそすれ、クレームをつけられたことは一度たりともありませんでした。私の何が問題だったのか、何が気に入らなかったのかもはっきりさせていません。つまり、私の解雇に正当な理由はまったくありません。

 私はすてっぷで働きたいために、全国公募にチャレンジしました。60人以上の候補者から選ばれました。私は120%の力を出して働きました。女性差別を解消するための拠点としてのすてっぷは、長年女性の地位向上に向けてがんばってきた私にとって、とても働きがいがありました。スタッフとともに手がけてきた仕事の多くは、継続性のあるものばかりでした。

 私はさらにすてっぷで働き続けたいと思っていました。当然働き続けられるものと考えていました。にも関わらず市と財団は、私の労働継続の強い意思を断ち切りました。すてっぷから私を排斥しました。

 これは不当な解雇です。労働権の侵害です。

 これは、私が非常勤嘱託職員だったことと無関係ではありません。もしも私が正規職員であったなら絶対に起こらなかったはずです。


最後に

 どこかに職を得れば、いつかは必ずそこをやめる日が来ます。その終止符がうたれる状況には、2つの種類があります。ひとつは本人が納得できる終止符、もうひとつは本人に不本意な終止符です

 日本の非正規労働者は1000万人とも2000万人ともいわれています。その多くは女性です。ほとんどが低い労働条件、不安定な地位で働いているのです。そして、この非正規労働者こそ、本人に不本意な終止符をうたれて仕事をやめさせられている人々です。

 すてっぷという組織のトップであった館長職の私でさえ、非常勤嘱託という非正規職員だったがゆえに、使い捨ては当然だと豊中市はふんだのです。こうして事実上の雇用主である豊中市は、非正規労働者を不安定労働たらしめている最大の原因である「雇止め」という姑息な手段で、私を排除しました。

 私は、雇用継続を拒否され、労働権を剥奪されたことの不当性を訴えるために提訴しました。しかし、これは一人私だけにとどまらず、多くの女性の身にふりかかっている問題でもあります。この裁判によって、働く女性の低い労働条件、不安定な地位の改善に貢献できれば、と心から願っています。

 最後に、強調しておきたいことがあります。

 私がすてっぷ館長のポストから排斥されたのは、男女平等の実現を阻もうとするバックラッシュ勢力に豊中市が屈した結果だと思います。この勢力は、国や自治体の男女平等政策を踏みつぶしては快哉を叫びます。この危機的現状も、裁判を通してしだいに明らかになってきています。

 私は、男女平等を阻むバックラッシュに屈したくはありません。この裁判が、男女平等社会の実現に一石を投じることになると信じています。どうか、みなさん、ご支援を心からお願いします。

参考:『原告三井マリ子 陳述書』(2006年4月15日 ファイトバックの会発行)
   ファイトバックの会ホームページ
 

【別表】 バックラッシュ年表


(出典:『教育労働ネットワーク』(2007 春 No.45 2007年4月16日発行
編集責任者・伊藤由子 981-0942 仙台市青葉区貝ヶ森3-16-2 TEL022-278-5747))



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