『最終準備書面』感想 7

●明らかにされた豊中市の陰謀

遠山 日出也(立命館大学非常勤講師)



 三井マリ子さんの『「陳述書」からは、主に三井さんの側から見た、バックラッシュに屈して以後の豊中市らの動きの理不尽さ・怖さがリアルに伝わってきました。

 それに対して、『最終準備書面』第6章「組織体制の変更に名を借りた原告排除」からは、豊中市らが裏で実際に何をしていたのかがよくわかりました。

 この第6章は、さまざまな証拠や証言から推理するというミステリー的な面白さもあるのですが、明らかにされた真相は、周到にすすめられた陰謀そのものであり、心底ゾッーとさせられました。以下、簡単に紹介させていただきます。

 豊中市とバックラッシュ勢力との間で、「三井をクビにする」という密約が成立したと思われる2003年5月下旬直後の6月9日、まず、市からの派遣職員である「すてっぷ」の山本瑞枝事務局長が、「館長職を常勤に変更する」という山本第2次試案(5月25日に密かに豊中市と協議して作成)を、会議の中で「資料」として提示します。しかし、議題にはせず、議論もしませんでした。そこには「非常勤館長職の廃止」という記載もありませんでした。

 次に7月頃、三井さんの部下でもある山本氏は、上司との雑談を装って、仮定の話として「もし館長が常勤されたら」という話を持ち出します。三井さんは、山本試案をあくまで個人の試案だと思っており、館長首切り案だとも理解していなかったので、雑談の中で軽い気持ちで「無理よね」と答えます。すると、山本氏はすぐさまそのことを豊中市の本郷和平人権文化部長に伝えました。

 その後の正式の会議などでは、山本第2次試案の議論も、常勤についての三井さんの意思確認も一切なされませんでした。山本第2次試案自体も、都合の悪い部分はずっと三井さんに隠し続けてきました。つまり、豊中市側は周到にも、後で「三井も知っていた」とか「了解した」とか主張するための口実作りを、この時点でこっそりしておいたというわけです。

 こうしてアリバイ作りをした後は、豊中市の本郷部長の下、武井順子男女共同参画推進課長と山本氏だけで、非公式な協議を秘密裏に頻繁に行って、三井さんの首切り策やその場合の職員配置について策を練ります。

 そして10月に、「非常勤館長職廃止による三井現館長排除、事務局長プロパー化」という案(乙8号証)を決定しました。候補者のリストも作り、同月20日に市長の了承も得て、打診をはじめます。

 その後の11月になって、本郷部長は三井さんにはじめて口頭で「館長と事務局長を一本化する」という言い方(それゆえ三井さんは「常勤館長に一本化する」ことだと理解したし、理事長や副理事長も同じ理解だった)で組織変更のことを伝えます。

 三井さんにようやく「事務局長だけにして、館長を廃止する」と伝えたのは、豊中市が桂さんに事務局長就任の受諾を決意させた後の12月19日のことです。しかも、その案が2004年1月に「常勤館長に一本化する」と変更されたことや、それを正式決定する臨時理事会の開催日(2004年2月1日)は、三井さんが問いただすまで隠していました。

 要するに豊中市らは、三井さんが自らの「立場を守るためにしかるべき行動に出ることを妨げる」ために、「情報からの徹底した排除」をしてきたわけです(ファイトバックの会編集印刷版『最終準備書面』87-89頁、HP版『最終準備書面』163-166頁、頁数が異なる)。本当に卑劣なやり方だと思います。

 さらに、その後の「すてっぷ」の実態はと言えば、「常勤館長」は名ばかりで、実際は乙8号証の構想どおり、単なる事務局長でしかありませんでした(桂証言)。バックラッシュに屈した豊中市は、「すてっぷ」から三井さんを奪ったのみならず、組織体制も「弱体化」したわけです。

 また、第6章は、採用選考委員会の不公正さについても立証しています(印刷版 91-99頁、HP版169-185頁)。

 一般的には立証が難しいこうした点に関しても、本郷氏が選考委員の1人であったということに加えて、さまざまな面(採用要綱に反してまで筆記試験をしなかったこと、本郷氏の桂さんへの「あなたしかいない」発言の意味の掘り下[http://fightback.exblog.jp/6258972]、本郷氏らが選んだ各選考委員の発言・行動、選考委員に先入観を持たせていたこと、三井さんより桂さんが常勤館長にふさわしいという合理的理由は被告側文書にも見当たらないことなど)から立証することに成功しているように思いました。



「密約」を立証した最終準備書面

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