脇田滋意見書感想 2

■自分が少し強くなった気がしました

小西佑佳子(川西市議会議員)

 二年前、館長雇止め裁判の大阪地方裁判所での判決内容を知って、「契約職員は更新されるのが普通だ」という自分の常識が間違っていたのかと疑問に思いました。

 私自身も期間契約のもとで働いたことがあります。1年に満たない期間の契約でしたが、更新されないかもしれないなどと別に心配はしませんでした。職場に勤務した最初の日に雇用者側から、「更新する」という言質を得ていましたし、このような期間を定めた契約は更新されるのが普通だと常識として知っていたからです。

 しかし、大阪地裁判決は、期間を定めた雇用契約では、期間が満了したら雇用関係は終了して、更新しなくても別に構わないと言うのです。雇用主は都合のよい時だけ雇って、期間が切れたら雇用主の都合で「はい、さようなら」でもよいと言うのです。

 この地裁判決に対して、私は素人ながら「おかしい」という疑問は消えませんでした。しかし、脇田滋さんが、控訴審に提出した意見書で、私の疑問を見事に解いてくれました。脇田さんは、解雇と同様に、仕事をやめさせるだけの正当な理由がなければ、雇止めすることは信義則上、許されないのだ、と過去の判例から説いています。

 さらに、ドイツやイタリアなどを例にとって、労働者は正当な理由なく解雇されないのだ、解雇を正当化するために作られた労働契約は無効なのだ、という考え方を示し、またその考え方は日本の現行法でも解釈可能であることを示しています。そして、裁判所として当たり前の判断ができていないと地裁判決を痛烈に批判しています。胸がすく思いがしました。

 さらに、脇田さんは、有期契約にするには正当な理由がなくてはいけないと論じています。ある期間だけに発生するわけではない仕事のために、つまり長期間継続する仕事のために、期間を定めて人を雇うのが、そもそもおかしいと説明しています。期間を限って人を雇うためには合理的な理由がなければいけないし、それを立証する責任は雇う側にあるとしています。こんな考え方があって、それを実行している国が現にあるということに、私の目からウロコが落ちました。別に世の中が変わったわけではないけれど、このことを知ったことで自分が少し強くなった気がしました。この考え方をもっと多くの人に知ってもらいたいです。

 契約という形は、雇う側と雇われる側があたかも対等であるかのように見えますし、その契約を結ぶことは自由意思のもとに行っているように見えます。でもそれは偽装だと思います。雇う側は相手の生殺与奪の権を握り、期間雇用者はやむを得ず人生を切り売りさせられているのだと思います。

 雇う側と雇われる側は、決して対等ではなく、雇う側のほうが強いことは明らかです。この現実を加味せず、形だけで判断するのでは真に中立とは言えません。裁判所はこれまで、このような現実の力関係を十分承知した上で、働く人の立場を守る判例を重ねてきたのだと思います。館長雇止め裁判でも、裁判所には自らの価値をおとしめないような仕事ぶりを期待します。

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