脇田滋意見書感想 3

■長年の憤りと疑問が氷解した

木村 真(豊中市議会議員)

 龍谷大学の脇田滋先生が大阪高等裁判所裁判長に出した意見書に、とても強い印象を持ちましたので、働く者の相談にあたっている立場から、感想を書かせていただきます。

 この意見書は、以下の4節から成っています。
  1. 契約期間の定めと更新の合意
  2. 雇い止めの有効性
  3. 最高裁・神戸弘陵学園事件判決の意義
  4. 常勤館長への優先転換に関する配慮義務  

 大阪地方裁判所の判決は、本来、被告側に課せられるべき立証責任のほとんどを逆に原告側に求める極めて不当なものである、と、脇田先生はどの節でも明快に説明しています。

 私は、「誰でも、一人でも入れる労働組合」、個人加盟のユニオンの執行委員です。非常勤、非正規労働者の問題を扱っています。その立場から、脇田先生の意見書の中で、契約期間の定めを設けることの問題について述べた第一節が、特に素晴らしいと感じました。そこで第1節を中心に述べたいと思います。

 1. 期間を定めること自体に合理的な理由が必要である

 有期雇用の雇止めの正当性については、一般的には、主として契約更新を期待する合理的な理由の有無で判断されてきました。例えば、更新が何回かなされ、何年もの間、雇用が継続されてきた場合。また、契約更新の際に、労働者に契約更新の意思を尋ねたりする手続きもないまま自動的に更新されてきた場合。こうした場合には、実態としては期間の定めのない雇用契約だとして、これを一方的に打ち切るためには「解雇」と同様の理由や手続きが必要となります。厚生労働省が作成したパンフレットでも、その趣旨のことが書かれており、一つの「原則」であるはずです。

 ところが、ユニオンの現場での実感から言えば、そんな原則などあってなきが如しなのです。期間の定めのない雇用、いわゆる正社員の解雇と全く同様の厳格さをもって解雇権の濫用を制限しているかと言えば、とてもそうではないのが実態です(正社員も「厳格」ではないのですが、有期契約と較べると少しはマシ)。

 例えば整理解雇にあたっては、正社員でなく有期雇用の労働者が真っ先に対象とされることが、当然のことと考えられています。また、雇止めのまともな理由がないことが明らかである場合を除くと、雇止めを覆すことは大変難しいのが現実です。「完全に不当」だという、明らかな「クロ」だというケースは、むしろまれです。使用者は必ず何らかの理由を持ち出してきます。その理由が取ってつけたに過ぎないものであっても、曲がりなりにも何らかの理由がある場合、雇止めを覆すことは大変難しいのです。それが「限りなくクロに近い灰色」であろうとも、難しいのです。

 そんな時、私は、「仕事自体は恒常的なのに、仕事をする人間はなぜ有期なんだ!」という強い憤りを覚えました。これが認められている限り、明々白々たる、100%完全に不当だという場合以外は、雇止めは事実上、まかり通ってしまう。「恒常的な仕事なのに雇用契約は有期という働き方は原則的には許されないのだ」という考え方が確立されない限り、狡猾な経営者は必ず「グレーゾーン」に逃げ込んでしまう。

 しかし脇田先生の意見書を読んで、私が長年悶々としてきた、こうした憤りや疑問が氷解する思いでした。

 脇田先生は言います。有期雇用契約の規制が、ドイツをはじめヨーロッパでは定着しているのに、日本では全くルール化されていないこと。その日本でも、学説としては主流となりつつあること。
「労働契約に期間を定めるためには、合理的・客観的な理由が存在していなければならない」
「期限設定には理由を必要とする。期間を定めた労働契約の締結には正当事由が必要である」
「使用者側に解雇制限法理脱法という意図がないと言えない限り、契約期間設定自体が無効であると解する必要がある」・・・。
実に明快です。

 これ以上、何を付け加える必要があるでしょうか。会社との交渉の中で、労働委員会の審判で、裁判の法廷で、街頭での宣伝で、あらゆる場面で、脇田先生が示す、この当然の考え方を、主張し、現実として定着させていかねばならない。私はこのように思いました。

 2. 合理性の立証責任は使用者の側にある

 そしてもう一つ。「労働契約に期間を定めるためには、合理的・客観的な理由が存在していなければならない」ということ、これを実効性あるものとするには、使用者の側がそれを立証することを原則とせねばなりません。労働者の側に不当であると立証させるのではないのです。突然職場を追い出された労働者に、そんなことを立証できるはずがありません。

 そもそも、労働者と使用者は対等ではありません。そんなことは、誰でも分かっています。採用の時を思い起こせば明らかです。採否は会社側の判断に委ねられているのです。だから多くの人は、会社に「雇ってもらっている」と感じながら働いているのです。圧倒的に使用者の側が優位なのです。だからこそ、対等な者同士を想定した民法上の契約だけでなく、使用者と対等に近づけるよう、労働基準法その他の労働法によって労働者を保護しているのです。

 もともと不利な立場の労働者が、使用者から「不当な仕打ち」を受けた時、それが「不当」であると立証せねばならないとしたら・・・。全くむちゃな話です。立証なんてできっこないのです、ほとんどの場合には。逆に、会社の側にこそ「正当」であることを立証する責任を課さないと、どんな素晴らしい法律があろうと、無意味とまでは言わないまでも意味は半減です。

 脇田先生の意見書いわく、「期間設定について合理的な理由があることを立証することができないときには、期間を定めない労働契約を結んだと解釈することになる。とくに、短期契約を反復更新することは、まさに、そのこと自体が契約期間の設定に合理的理由がなかったことを意味すると考えられることになる」。そうだ、その通りだ!こんな当たり前なことが、なぜ日本では当たり前になってないんだ!この部分には、思わず手を叩いてしまいました。

 続けて脇田先生いわく、「地裁判決は、契約期間設定に対して解雇を制限する確立した判例法理やそれを確認した強行規定の存在についてまったく考慮をせずに、逆に、契約更新の合意の存在の立証を労働者側に課している点で根本的に判例法理や法令の解釈を誤っていると考えられる」。な〜るほど。つまり、日本でも当たり前となりつつあるのです。なのに、大阪地裁判決は、それを無視したということなのです。納得。

 このたびの三井さんの裁判は、使い捨ての部品でもロボットでもない生身の人間である私たちが、人間らしい働き方のルールを勝ち取っていくために、とても大切な訴訟だと考えます。脇田先生が意見書で述べておられる主張が認められ、三井さんが大阪高裁で、地裁の不当判決を覆して勝訴することを祈念するとともに、私が応援できることがあるのなら、ぜひ応援したいと思っています。


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