年の瀬のごあいさつ

2010年12月17日
原告 三井マリ子


2010年は、悲喜こもごも、いろいろありました。年の瀬にあたって、「ファイトバック!」の読者の皆様に感謝の思いをこめつつ綴ってみました。来年は、最高裁勝訴の年にしたいです。

1月、親友の芦谷薫を亡くして、落ち込みました。女生徒だけに強制されていた家庭科を男女共修にしようと闘った同志でした。何でも相談できる長年の友人でした。提訴すると言ったら真っ先に支援金を振り込んでくれました。亡くなる寸前まで、この裁判の行方を心配していました。

3月、大阪高裁74号法廷で、塩月秀平裁判長は、逆転勝訴の判決を下しました。6年間の苦労が報われた瞬間でした。豊中市とすてっぷ財団が嘘・偽りを弄して私の仕事を奪ったのは「人格権侵害」であり、違法だと明言しました。弁護団と抱き合って喜びました。弁護士会館で支援者と判決文を読み合わせして、判決文に改めて感動しました。浅倉むつ子脇田滋両教授の意見書をはじめ、証拠や陳述書を出して下さった大勢の支援者の底力を、かみしめました。

4月、東京で、浅倉教授、紀藤弁護士をお招ねきして勝利集会を開きました。「絶対に出席する」と約束していた北村三津子さんが、顔を見せませんでした。へんだなぁ、と思いました。夜勤明けのからだで、東京・大阪の夜行バスに乗って、傍聴を欠かさなかった北村さん。過労で亡くなったことを、翌日、知りました。北村さんのメールアドレスはViva la vita。「いのち万歳!」というスペイン語です。私のパソコンにはViva la vita発のおびただしい数の「檄文」が遺っています。燃え尽きるまで闘った北村三津子のいのち…。

6月、母が、私の腕の中で、静かに眠るように息を引き取りました。もともと細い体の人でしたが、それがさらに小さくなって、腕からこぼれ落ちそうでした。時間をみつけては見舞っていた私が、この母から「母さん」と呼ばれたのは、2年ほど前でした。私の父との結婚生活は幸せではありませんでした。イプセンの『人形の家』の主人公ノラのように家を出ることも、『ヘッダ・ガーブレル』の主人公ヘッダのように破滅的に振舞うこともできなかった1人の日本女性の89年でした。

7月、ノルウェー訪問。ヨーテンハイメン国立公園のベッセゲン尾根に挑戦しました。全行程8時間。登山途中で天候が急変し、山頂で大雨・雹に遭遇し、寒さに震え、やっとの思いで帰還しました。母が気にいっていた形見のむらさき色のベストが、体温の降下を防いでくれました。

8月〜10月、裁判の勝利集会の全国行脚が、福山・岩国・広島からスタート。札幌でも行いました。1人の働く女性を首にした背後の、「行政の闇」「バックラッシュの組織的な攻撃」がよくわかったと、参加した方々から感想が寄せられました。

11月、1年前から準備にかかわった「日本縦断トリエステ精神保健講演会」が成功裡に終了。精神障がい問題への関心の高さを知りました。イタリア講師からパートナーにプレゼントされたTシャツのイタリア語を見て、裁判の提訴時の迷いや、地裁で負けて控訴を決断した時を重ねあわせました。そして「闘ってよかった!」と心の底から思いました。
その言葉は、
「闘う者は負けるかもしれない、しかし闘わない者はすでに負けているのだ」


三井マリ子
館長雇止め・バックラッシュ裁判控訴人、すてっぷ初代館長

出典『ファイトバック!』No.14  2010年12月17日

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